今日は富士山が見えなかった〜と嘆いたら

富士山友達から、こんなメッセージが💕

フジトモよ、ありがとう〜






「正しさ」ということばについて、書きます。


正しい、間違っている


その根拠は


ただの「考え方」「価値観」です。


その自分が採用している考え方が、「正しい」ときは正しく感じるだけの話です。


とてもシンプルな話です。


そして、その考え方なんて、どこか外から持ってきたものに過ぎません。


親に言われた、教育、文化、法律。


そして、もし、なにか選択に迷う出来事があるとしたら


その外から持ってきた自分の考え方を必死に握りしめている、

そのそとに気づかされるための出来事なのでしょう。



何か大切なものごとを選択しなければならないときは


一般的な正しさ、で選ぶのではなく


「自分が一番大切にしていること」に従って選ぶ。


それは、たぶんすでに誰でもやっていることでしょう。


「正しさ」を振りかざすひとは


単に、その選択の言い訳をしたいだけなのですから。




だから


「自分が一番大切にしたいことが何なのか」


それをいつもはっきりさせておく、意識して生きることは


何かを選ぶときに


迷うことを減らすでしょう。




「自分が一番大切にしたいこと」さえも


考え方でしかありません。



その、普段から意識している「大切にしたいこと」に反することをしたくなるときが訪れることがあるでしょう。



そういうときは


「大切にしたいこと」を今一度、見つめ直す時期なのでしょう。




だいたいは、そういう「大切にしたいこと」は


誰か大切なひとを悲しませてしまうことだったりします。


だから迷うのです。


自分1人が悲しむだけなら、ひとというものはあまり迷わないでしょう。


誰もが、1人では生きていないからです。


大切な誰かとともに、支えあいながら

助け合いながら生きているから。



本当はその支えてくれる大切なひとを悲しませたくない。



でも、その、「選択」をすることで

その大切なひとを悲しませてしまう。



そういうときに


ひとは、迷い、苦しみます。







ちなみに


なにか、重大なことを選択するときに


「正しさ」で選択すると、間違えます。


頭と体がズレている。




そして、


人間は


感情で選択すると、間違えます。


間違える選択とは、本質からズレていく選択のことを言います。





迷ったら


正しいではなく、楽しいで選ぼう、という言葉は


一見、良さげに見えますが


感情で選んでいる時点で、これも実は本質とズレていることに

自分自身が気づけるかどうか。






話を戻します。


何かを選択するときの基準は


正しさ、ではうまくいきません。


楽しさ、でもうまくいきません。


罪悪感、でもうまくいきません。




最初から、その選択をしなければならないようなレベル、次元で生きることを辞めていく、


というのが、一番いい答えなんでしょうね。




時間がなくなったので


なんかまとまらないけれど


終わります!



ともこ