秋の装い。
京都もね、ちょっと道を変えて走るだけで
こんなにのどかな雰囲気の場所が実はたくさんあるんたよ。
水路になんとザリガニも見つけました。
彼岸花と黄金色の稲穂が美しいね。
いまお彼岸なんだってね。
知らなかったから調べたら
昼と夜の長さが同じになる冬至と夏至を挟んだ
前後3日の一週間を、お彼岸と呼ぶのだそう。
あの世とこの世が1番近くなるんだって。
その、まさにあの世とこの世が1番近くなる日に
友達が、逝ってしまいました。
日に日に弱っていくのが心配で
たまたま東京に行く予定が重なって
何度も病室に顔を出しました。
初日はわたしの顔を見て明らかに元気になってくれたのに
だんだん、私が行っても反応をしてくれなくなっていく。
なんとなく、なんにも書く気も起こらなかったけど
その、何も書く気にならなかった気持ちを、書いてやろうと思います(笑)
人間的にも魅力的な彼女は
周りの人にとても愛されていて
私もたくさん彼女に刺激をもらいました。
会うたびに、さらにさらに素敵になっていく彼女。半年くらい前に会ったとき
「わたしね、やりたいこと全部やってて、いまが1番幸せだよ」
「でもね、数値には、全然表れないの」
「もう、手を尽くしたけど、これ以上治療法がないの」
見た目には全くわからない、オシャレで顔色もいい彼女からその言葉を聞いたときは、言葉がうまく出てこなかった。
その後は会えてなくて
旅に出る前にメッセージをもらった。
「腹水が溜まってしまい、動くのもたいへん」
その後、本人からは、連絡が来なくなってしまい、入院したことを聞いたときはわたしはアジアを旅行中でした。
なんで、ひとつも数値に現れなかったんだろうな。
「ひとつも」というのが
ぜんぜん、解せないよな、、。
あんなに積極的にまっすぐ正直に生きていた人なのに。
もちろんわたしは全てを知っているわけじゃないけど。
そういうことを、ボーっと考えてしまいます。
あとね、ボーっと考えてしまうもうひとつ。
自分でも、ものすごく不思議だと感じること。
なぜか、わたしは、たまたま東京にいて
たまたまその時間に病室にいて
なぜか、親族しかいてはいけないようなかなりプライベートな、わたしのような他人は普通はいないだろう、そこに同席していて
濃い時間を過ごさせてもらった。
その最中、彼女の最期の涙を、実際に目の前で見た。
それから1時間もしないうちに彼女の人生が終わる、最期の涙。
もう機能していない左目とは違い
何かを訴えるようなその右目から
何度も何度も涙があふれて
頰を伝わって落ちた。
言葉は発せられない彼女からの
たぶん、感謝の気持ちを表す涙。
なぜ、わたしは彼女にそれを見せられたのだろう。
なぜ、彼女はわたしに最期を見せてくれたのだろう。
なんとなく、そんな思いが度々、やってきます。
彼女はすべてやりきって
いまは肉体から自由になって、またあの美しい元気な笑顔でいてくれているに違いない。
わたしは彼女のことが、大好きだったんだ。
わたしも、しばらく東京これないし
もうお見舞いに来れるかわからないと思って、最後だと思って
散々、枕元で、目を見ながら、くどいほどわたしの気持ちを伝えまくった。
ちゃんとお別れしたから
わたしは、後悔はない。
あとは、残された身近な人たち、特に旦那様が、本当に本当に気の毒で、それを思うと心がしくしくと痛みます。
そんな今年のお彼岸。
全ての生きとし生けるものと
亡くなった魂が
peacefulに満ち足りた源と
ひとつになりますように。
ありがとうございました。
ともこより