おはようございます。
導かれるように新しい学びに出会い
東京にきてます。(^^)
これから何が起こるか楽しみだ〜❣️
直感と直感の点を結ぶと線になる、そんな感じ。


わたしは小さい頃から、自分には謎が多すぎると感じているんだよね。みんなと同じことができない。

学校で教わる、「みんなこういう仕組みだからこうしたらこうなりまーす」 というものに、なにか、ハマらない違和感。脳みそ的にも、体的にも。


そしてそれは、「自分ができないからダメなんだ」という子供ながらの理解からくる無価値観につながる典型的ケース(あるあるですね)にもれなくつながる。


でもさ、おかしくね?おかしくね?
それっておかしくね?
みんなと一緒なんておかしくね?


その疑問をよーく考えることもしないまま
違和感の感覚だけを持ち続け
少しひねくれた大人になりました。(笑)


最近またまた、それをよく思うことが多い。

やっぱ、おかしいじゃん!

自分が、みんなと一緒であるわけないんだ。

騙された!(笑)

それを、頭ではなく、実感とともに、感じる、腑に落ちた感。



ヨガを精神、哲学、肉体、それぞれの視点から学んでいてもぶつかる「自分だけ、おかしくね?」の感覚は、もう、当たり前すぎてあんまり考えてなかったけれど、最近、
体に関しては新たな発見があったの。自分の体。


「わたし、体、おかしくて(みんなと違ってて)当たり前でした。」

ってやつ。


それは、なにをしても、どうしても、治らない股関節のねじれが、教えてくれたんです。

「誰でも練習したら誰でも治るよ、柔らかくなるよ」という「定説」からは外れ

「誰でもこの筋肉を鍛えてこうしたら治るよ」という定説からも外れ

「股関節のねじれの原因は内臓のどっかからくるからうんたらかんたら」など、言い出したらきりがないさまざまなありとあらゆるボディワーク、東洋医学の先生たちの意見にも、納得できず。

けれど、納得してもしなくても、「股関節のねじれ」は治らない、

もう、拗ねと苛立ちと諦めの世界。でも捨てられない「なんとかしたい」という衝動。


そんななか、段々とはっきりしてきたのが

「股関節の問題は、生まれつきの障害だった」

という事実。

生まれつきだから、治らない。
治せるわけない。
「定説」があてはまらない。

誰でもできる、なんてウソじゃん。

わたしは、生まれつき、みんなとは違う体なのだ。



何年か前にそれは感づいていたけれど
知ったところで治せないから、どうしようもないことには変わらなかった。

それが、ある出会いのお陰で
手を使わないカタカムナ式の秘儀で(笑)
わたしの生まれつきの、ある「障害」が、外れたのだ。

注意: カタカムナっぽいと私が個人的に感じただけで、カタカムナではありません。カタカムナに関してもわたしはよく知らない。直感でその言葉が出てきただけです。


びっくりだー。
でもラッキーだ〜

そして
感謝も湧き上がる。



そんな「神秘的な世界」があることを知れたことに。


みんなと同じことができない、治せない、その理由も、わからない、体は不快感。
そこに目を向けざるを得ないまま、さまざまな人と出会い、体験をしてきたのは

ここに至るための必要なプロセスなんだなあ〜、、


まとまらないけど、時間ないからここまで!(笑)


読んでくれてありがとう😊

今日も良い一日を❣️