昨日は、「みなみ会館」で映画をみてきました。

 

20年ぐらい前

まだ大学生だったころ

ちょこちょこ通っていた小さな映画館です。

 

20年ぶりで

すごく懐かしかったのと同時に

当時のわたしは

すごく背伸びしていたんだなーと思えて

わらえます。

 

二十歳のわたしには

当時の「みなみ会館」で上映される映画の中身は

難しくてよくわからないものばかりだった。

 

なにせ、人生経験の幅もないし。

ひとのこころも

じぶんのこころも

今よりも理解できていないわたしに

わかるわけがありません。

知識だけで、なんとか大人ぶっていたかったんですね。

 

でも、「みなみ会館」で映画を見るのが好きだったんですよね。

 

20年たって

やっと、そこで上映される映画の

意味や深みを味わえた。

 

当時は意味がわからなくても

その、質感が

好きだった。

 

やっと、意味と深みと質感のぜんぶを

味わえる年齢になりました。

ああ、やっと、わかる年齢になったのかーと。

感慨深く感じました。

見たい映画がたくさんある映画館です。

 

 

 

そういえば

はじめて京都のヴィパッサナー瞑想10日間にいったのも

二十歳のときでした。

意味も分からず坐りに行きました。

 

そして、10日間いたけど

瞑想なんてしてませんでした。(笑)(笑)(笑)

懐かしい。

 

 

で、、、昨日見た映画は

なーんともせつない映画でした。

「神のゆらぎ」

 

image

http://kaminoyuragi.com/

 

 

エホバの証人の信仰のなかで生きるひとたちの

葛藤をベースに、、、

さまざまな立場で葛藤する人々のこころの動きを描いています。

 

信仰。

信じること。

 

信仰=何かを依存的に信じることですよね。

 

信仰と自分に距離がある以上は

どんな信仰心も

自分を苦しめる結果になってしまいます。

 

 

信仰=神=自分になってしまえば

それに対し、一ミリも疑問がなければ

苦しさはないでしょう。

 

けど、そんなことって

一般的には難しいことのはずです。

 

信仰=神=自分の内側=自分の外側

 

これがすべて一致しない限り

自己の内側と、神と、社会生活との矛盾が生じて 

葛藤が生まれてしまう。

 

その矛盾を

感じているのに

ないことにして

自分にウソをつく。

 

そういうことの

つらさを感じる映画でした。

 

なーんともつらくて切なーい映画でした。

 

死ぬのは怖くない。

だって生まれ変われるから。

この教えを守って死んだら

わたしたちには永遠の命が待っているのだから。

 

そういいながらも

だんだんと

死に近づいていく病気の恋人の姿をみて

主人公の女性は

怖くなっていきます。

 

平常心ではいられなくなっていきます。

 

そして

神の教えを破ります。

 

 

作品としては、とても素晴らしい映画だと思う。

 

でも、せつなーいの。

あとあじは、せつなーい。

 

 

おわり。