おはようございます。

心屋智子です。


えーと

旅から戻りまして、京都におりますの~

また来週? 失踪予定です。 





先日ぢんさんと話して気が付いたことがあります。



わたしたち夫婦は

考え方が違うことが多いの。



一緒に住んで5年たつけど

いまだにお互いについて

新発見がある。

新鮮でいいよね!




実は、わたしは

なぜか知りませんが

基本的に

一般的に

ひとには悪意はないという前提で生きているようです。





『自分に対して、周りのひとは、悪意を持っていない』


とおもっているので

もし、ひとに不都合な事をされても

脳みそが、それを悪意とは、変換しない。



ただのバカかもしれません(笑)


よって

嫌なことされたら嫌だなあ、と思うけど

悪意とは思わないから

『とても悲しいなあ、でも、仕方ない』で終わってしまうようです。



仕返しをしよう!

とは思わないようです。





ぢんさんは、それを聞いて

「ともは、いいひとやなあ」

と言います。







逆に、ぢんさんは

「人には悪意がある」

と、思って生きてきた過去がある。




だから、本が書けるわけですよ~(笑)


だから、「どうせ愛されてるし」という言葉を発見できるわけです。




昨日カタヨガに来てくれた方も

「結局、実は、人に悪意はなかった」

とお話ししてくれました。




以前は

周りの人は、私に悪意があると思っていた。

みんな、自分の敵だと思っていた。



でも、悪意がある人なんて誰もいなかった。


そう思えたら


周りの人が優しいことに気が付いた、、、

愛があふれてることに気が付いた、、、




素敵なお話(*^_^*)



誰しも、その人なりの事情がある。


みんな、自分のことに忙しいのです、


ひとに悪意を感じてあいつをこらしめてやろう!という行為を働くよりも

自分のことに一生懸命、生きてるだけです。




以外と、ひとは、他人のことをそんなに気にして生きてはいない。


それでいいんだと思うのです。



誰かの行為が「悪意に見える」ひとは


もっと私を見てよ!

もっと私を大事にしなさいよ!



という自分の内側の悲痛な叫びを

聴いていてあげるときなのかもしれません。






起こることは

すべて
『たまたま』なんですよね。



意図を探す必要はない。

悪意を探す必要はない。




それが

本当にわかるときは

「どうせ愛されてるし」

それが、どういう意味が

分かったときですね。


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