こんにちは 心屋 智子です。


マイペースに過ごしていたら


ブログの更新がのんびりになっております (^_^;)




会社員時代は


効率をとても重視して暮らしていました。


会社ってそういうものですもんね。




改善


improve


よりよく


より速く


より多く



無駄はダメ


無駄は切り捨てる


目標に対する結果がでないと意味がない




そんな価値観で


私もずっと暮らしていました。




そういうのが好きな人はいいんですけど


私はそもそも


「質」が


そういうのが好きじゃない人なんですね。


効率を求められても



ゆっくりしかできないし


無駄に見えるような


手数、無駄うちをいっぱいしちゃったり




それがダメだと思っていた時は


したくないことをしてるわけだから


楽しくないし



やる気も起きないので


「自分はダメなやつだな~」


という気持ち満載でしたけどね





いまは


無駄なこと


意味のないこと


効率の悪いこと



を、してるのが「自分は好きなんだ」だと思いながらやってるからね



好きなことができるって


幸せだなーと思います。




瞑想とか


坐禅とか


まさにそう。




これまさに


無駄というか


役に立つかどうかなんてさっぱりわからないものです。




これは役に立つもの


これはこういう結果がでるもの


これはこういう自分になれるもの





そういう「目的意識」を持って座ると


道を誤ってしまうもの。



そういう人は


残念ながら何も得られないんです。 (^_^;)






無駄なもの


役に立たないモノ


結果の出ないモノ




それを淡々と


楽しむ。



もっというと


プロセスを楽しむ。






瞑想してるとき


「雑念をなくそう!」といって座るのではなく



雑念が、湧いては消え


湧いては消えていくのをただ、見つめる。




ただ、見つめるだけ。




海や雲を


一日中


ぼーっと見つめてるような感じ。






子供はそういうの、得意ですよね。(*^_^*)


目的なく、遊ぶこと。



昔、友人のざむ姫ちゃんの娘ちゃん(当時1~2歳くらい)と


ふたりで遊んでたとき


彼女は、まだ言葉が話せない。




でも、わたしと彼女は


延々と


あることをして遊んで、すんごい盛り上がったんです。




あることとは


道端にしゃがんで


落ちてる石ころを



目線くらいの高さから


地面に、ぽとん、と落とす。





石ころを


ぽとん、と落とす。



それだけです。



それを、ふたりで延々、30分はやり続けていました。



石ころが


ぽろんと落ちる。



その


ぽろん、が



毎回違う。



感覚を研ぎ澄まして


ぽろん、に集中する。




それが、たまらんくらい


いいんです。





ふたりで



その、相当地味な遊びをしながら



きゃっきゃと


大爆笑していたのです。



「いまのぽろんは良かった」


「いまのはもっと良かった」


という感想を


表情で伝えあいながら。







言葉を介さずに


2歳児と


大爆笑です。



不思議な時間だったなー。(*^_^*)







石ころをぽろんと落とす


その、無意味な行為のなかにも


豊さがちゃんとあるんですよね。



マニアックですかね、、、、すいません。(笑)






一見無駄に見えたり


無意味に見えたり


役に立たなかったり



一見、つまらない日常の活動の中に


実はたくさんの豊かさがあふれているんだよね。





image

こちらのネコはみーちゃんです。