こんにちわ。


心屋 智子です。




ためしに


わたしも


心屋仁之助、離婚 で


検索してみたよ。 (笑)


みんなも検索してみれば?


ところで


テレビって、みなさん、リアルな現実そのものだと思っているのかな~?


と、ふと思う。




わたしは昔、リアルだと思っていましたけど。


ドラマ以外のものとか、やらせのないドキュメンタリーとかは、リアルなんだって思っていました。




でも、今は、違う考えを持っています。




テレビという画面を通してこちらが見せられているものである以上


どんなものでも


テレビを作ったひとの、頭の中のもの、考えで作られています。


それ以外、ムリですもん。





テレビを作った人が、何かを見て、感じて、考えたものが


そこに、映し出されています。




ナイナイアンサーにやらせはありません。




そして、たとえ編集がいっさいされていなかったとしても


そして、ドキュメンタリー番組でも


程度の差があるだけで


やはり、画面を通している以上、リアルではありません。





それは、実は、本も同じだったりします。


誰かが書いてる以上、誰かの頭の中を通して書かれています。




学校で習ってきた歴史も


専門家さんが確かに調べたものではあるけれど


誰にも「リアル」はわかりません。


誰かの頭の中のものでしかないですよね。




有名な人物の「自伝」でさえも


自分で自分のこと書いてるわけだから


実は、めちゃめちゃ主観的です。




他人に書かせたら、その人の視点で


別の内容のものになるだけですね。





前にも書いたけど


ナイナイアンサーでいえば


収録の現場にいた人、だけが


リアルな現場を体験できています。




現場に、たとえば100人がいたとします。


タレント、相談員、見学者、技術者、ADさん、などなど。



100人が、その場で起こっていることを、見ている。




100人が見たもの、感じたものは


きっと100通りあるでしょうね。





現場にいる


100人のなかの


プロデューサーさん(と思われる方)が


1時間とか2時間の尺に短くして


それが


テレビで、放映されている。





だから、自分でナイナイアンサーを現場で見たら


普段テレビを通して見ているものと


かなり違う印象だと思います。


わたしは、そう思いましたよ。





あなたが見ている、テレビに出て、しゃべっているぢんさんは


リアルではありません。



「部分」では、あるとは思いますが。



プロデューサーさんの概念をとおっている画面を通している時点で


その「部分」さえも


何か、さらに違う「色」がのっかっている気がします。


味付け、でもいいけど。





それが、いい、悪いのではありません。


テレビとは、そういうものなんだなーって思っていれば、いいのかなと思います。




だから


テレビを通してみているもんに


必要以上に、反応するのは


ちょっとナンセンスだなあって思うのでした。






もちろん


ぢんさんと


毎日暮らしているわたしは


ほかのみんなよりは


彼のたくさんの部分を


見ていると思っているけれど


それでも



わたしの頭を通している以上



わたしが見ているぢんさんは



やっぱり、「一部分」でしかありません。




しょせん


「わたしの見ているぢんさん」でしかない。




同時に、


「わたしが見ていないぢんさん」も存在する。





「わたしの見ていないぢんさん」と 「わたしが見ているぢんさん」


それが合わさって、まーんまる、ひとつの「ぢんさん」です。



うふふ。(笑)




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