ときに考えすぎて


頭でっかちになって


感情と同化しちゃったりして


『問題』は何よりもでっかい悩みの種、障害物になったりする。





でも


わたしたちの存在って


実は、そんなもんよりもはるかにデデーンとでっかく存在しているものなのだ。





条件付けのない、ただ、あるっていう、絶対的な存在感をもって


すべてはただ、存在しているだけなのだ。





それに、名前をつけたり


意味をつけたり


便利がいいように、


区分けして、認識してきただけ。




木は昔から、木で


水も昔から水だけれど


それに私たちが名前をつけて、区別しているだけで


彼ら当人にとってみれば、「はあ?なんすか、それ」かもしれないのだ。




そういう、『頭で考えてあとからくっつけている』ものって


実は、頭の中にしかないから


くるくるかわるし


条件なんていくらでもつけれる。




あの人は、あれをしてくれるから好き


あれをしてくれないあの人は嫌いとか。



夕陽は美しいから素晴らしい、


じゃあ、美しくない夕陽は素晴らしくないの?とか。






そんな条件は、生きてる環境によって違うだろうから


民族によっても変わるだろうし


同じ日本人だって、個人個人の見方でずいぶん変わってくるものだ。







「デデーンとした絶対的な、ただ、ある」


ただ、ものとごは、そこにある。



それが、ほんとに、ただ、あるだけで




条件とか、頭でいろいろ後からくっつけて、いいとか悪いとか、


なんだかんだ言ってるんだなっていうこと.に


気づいてしまうとき





『問題』に見えていたものも


関わりのひとつなんだなって思えてくる。





肉体が生まれてから


多くの人たちと関わって、関わって、関わって、、、



出会ってる人も


出会ってない人とも



そういう関わりの中で


わたしたちは、一生懸命、生きてるねえ~






またもや


独り言であります。



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