近松門左衛門は元禄時代に心中物語を描き、多くの人の心を儂掴みにしました。虚実いりまじり相次いだ心中事件。それは現象であり、令和の今も日々あらたな現象が。戸惑いつつ、ときには嘆きもするけれど、それが歴史なのかもしれません。
英語では心中と云う言葉は厳密にはなくて、double suicide。二つの自殺。そこにも西洋と日本の.考え方の違いがありますね。
小澤征爾さんが、「〝個〟をたいせつに」と仰っていました。またこのようなことも。楽器は練習を積むことがたいへん。なぜならとてもむずかしいから。あまりのむずかしさに放りだしたくなる。しかし練習を積むうちに或るときを経ると、自信をもって楽器を奏でられるようになる。そこからが音楽本来の表現へ。
ものを書くこともおなじで、練習中はたいへんですよね。書いても書いても、あれを書いてはいけない、これを書いてもいけない云々。でも練習を積みかさねて、表現できるまでになれたなら!
「〝個〟をたいせつに」と聞けば、「わたしのシナリオのここの部分。これこそが個性なんですよ」と叫びたいところですが、とり違ってしまってはダメなんですね。
小澤征爾さんはコンダクター。オーケストラにはハーモニーが求められます。オーケストラのメンバーの全員が〝個〟をバラバラに発揮したなら、それは音楽ではありません。反対にそれぞれがカチカチに教則本に縛られていたなら、それも音楽ではありません。人の世も、またハーモニー。そのなかで〝個〟をたいせつに。
ニール・サイモンの自叙伝のタイトルは『書いては書き直し』。なんともユーモアとやさしさとリアリティの伝わるタイトルなのでしょう! まずは2025年も書いて書いて書きまくりましょう。