<胆管腫瘍のため7月11日死去、55歳>
「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。
でも、心の底ではゲーマーなんです」。
7月に55歳の若さで急逝したゲーム業界の巨星、任天堂社長の岩田聡さんは2005年3月、米サンフランシスコであったゲーム開発者の国際会議のキーノートスピーチで、冒頭に英語でこう述べ、満場の拍手喝采を浴びた。
この言葉通り、岩田さんの人生は常にゲームとともにあった。
ゲームを楽しむ若者からゲーム製作のプロに。
そして、後年は経営者に上り詰め、任天堂の黄金時代を率いた。
晩年は急拡大したスマートフォン向けゲームとの競争に苦しんだが、ゲーム専用機を用いた新たな提案にこだわり、ゲームの地平を切り開くことに執念を燃やし続けた。
高校時代からゲームのプログラミングが得意で、東京工業大卒業後、アルバイト先だったゲームソフト会社「ハル研究所」に入社。
アクションゲーム「星のカービィ」シリーズなどをヒットさせ、才能を開花させた。
任天堂の山内溥社長(当時)の目に留まり、2000年に取締役として招かれ、2年後に42歳の若さで後継社長を託された。
当時のゲーム業界では、グラフィック性能に優れた「プレイステーション」を擁するソニー陣営が優位に立っていた。
だが、岩田さんは技術力を前面に出すのではなく、新たな発想をふんだんに盛り込んだユニークなゲーム機で新たな遊びを提案する手法を取り、任天堂がファミコン以来培ってきた「大人から子供まで遊べる」親しみやすさを追求。
2画面を備えタッチペンで遊ぶ携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」と、片手で持てる棒状のコントローラーで遊ぶ据え置き型ゲーム機「Wii(ウィー)」を相次いで世に出し、大ヒットを達成。
業界では「ゲームセンスと経営手腕を兼ね備えたまれな人材」と高く評価された。
だが、11年に発売した3D(立体)映像を楽しめる「ニンテンドー3DS」は、販売が思ったようには伸びなかった。
コントローラーにタッチパネルが付き、テレビとの2画面で遊ぶ「WiiU(ウィーユー)」も同じだった。
スマートフォン向けゲームが普及し、わざわざゲーム専用機を買って遊ぶ人が減ったためだった。
だが、岩田さんは苦境の中でも、ゲーム専用機でしか提供できない遊びにこだわり続けた。
背後には、ゲーム専用機で高品質なゲームを提供し続けたいとの思いがあった。
また、「これまでのゲームで育てたキャラクターを単純にスマホ向けに移植するだけでは、任天堂を支えるほどのビジネスは実現できない」という経営者としての冷静な判断もあった。
「話していて、病人には見えないでしょう。
社長の役割を果たせる状態だ」。
岩田さんは今年2月のインタビューでこう強調した。
昨年6月に胆管腫瘍を公表・療養して復帰した後だったが、この時、岩田さんは命を削ってスマホ向けゲームへの対応に取り組んでいた。
「ゲーム専用機を中核にするのは変わりない。
だが、世の中の変化に対応しないと衰退する」。
岩田さんが約1カ月後の3月中旬に出した結論は、ソーシャルゲーム大手「ディー・エヌ・エー(DeNA)」との資本・業務提携だった。
任天堂の人気キャラクターを使ったスマホ向けゲームを世に出し、幅広い層に遊んでもらった後、専用機向けゲームに誘導する戦略だ。
スマホ向けゲームの侵食に苦しみながらも、最後まで専用機でしか楽しめないユニークなゲームにこだわり、スマホ向けゲームとの共存を図ることにしたのだ。
2月のインタビューで岩田さんは、世界のゲーム市場で、日本のゲーム大手のソフトの認知度が落ちてきていることについて懸念を表明。
他社のソフトが海外展開する際に、スーパーマリオシリーズのマリオなど任天堂の著名キャラクターの使用を認め、全力で支援する姿勢を打ち出した。
病魔に侵されながら、業界の雄の任天堂の社長として、そしてゲーマーとして、ゲーム業界をどう導くべきかをひたすら考え続けた。
ゲームをこよなく愛し、数多くの発表会で自らの言葉で魅力を語り続けた岩田さんは、多くのゲームファンから愛された。
7月に亡くなった後、ツイッターなどの短文投稿サイトには「わくわくをありがとう」「ThankYouIwata」などの投稿が国内外から数多く寄せられた。
岩田さんの死去後の10月、任天堂は年内に予定していたスマホ向けゲームの発売延期を発表。
直後に任天堂とDeNAの株価が急落するなど市場は厳しい目を向けている。
来年発売予定の新型ゲーム機「NX」でビジネスを立て直せるかも不透明だ。
だが、NXは岩田さんが「全く新しい概念のゲーム機」と宣言した“遺作”とも言える商品で、ゲームファンの注目度は高い。
任天堂には「心はゲーマー」の岩田イズムを継承し、今後もゲームの新たな地平を切り開き続けてほしい。
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◇ひと:岩田聡さん=42歳の若さ、任天堂の新社長
<2002年5月31日東京本社版朝刊3面>
53年の超長期政権を築いた山内溥(ひろし)社長からバトンを受け、役員中最年少の42歳で世界の「ニンテンドー」を率いることになった。
1月、山内氏から社長室に呼び出され、過去半世紀の事業運営への考えを2時間にわたって伝えられた。
これが事実上の後継指名。
「えらいことになった」と思いつつ、これほど「チャレンジングな仕事はない」と覚悟を固めた。
山内氏にスカウトされて2年前に入社したばかりだが、「83年のファミコン(発売)以来20年任天堂とかかわってきた」。
同社向けゲームソフト開発のハル研究所(山梨県)に籍を置き、プログラマーとして「星のカービィ」(92年)シリーズなどのヒット作を世に出した。
高校時代、電卓でプログラム作りに興じ、スペースインベーダーが流行した大学生のころ、個人がコンピューターを持てる時代の到来に興奮した。
大学卒業後、アルバイト先だった当時社員5人のハル研究所にそのまま「転がり込んだ」。
ゲーム業界ではベテランだ。
少年期はぜんそくで外で跳びはねることは出来ず、「家で百科事典を読むのが好きだった」。
この好奇心が「人が喜んでくれるのが最大のご褒美」と、自然にゲームの世界に引き込まれていった。
「ゲームは生きていく上でなくてもいい物。
この身の丈をどこまで感じられるか」と語る。
なくてもいい物を欲しがらせる。
その源泉は人が喜ぶ姿ということか。
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◇人・事:岩田聡・任天堂社長舵取り、大変だけど面白い
<2002年10月7日大阪本社版朝刊経済面>
「任天堂の舵(かじ)取りはものすごく大変だけど、ものすごく面白い」。
5月の就任以来、約4カ月ぶりに会見した任天堂の岩田聡社長=写真=は日々の充実ぶりを、こう表現した。
この間、販売好調な米国に6度も出張したという。
53年間君臨した山内溥前社長から40代の社長への若返りは、相談役に退きながらも取締役の立場を残した山内氏の「事実上の院政」との見方もあった。
岩田社長は「社長になって一回も指示を受けたことはない。
経験豊富な相談役に恵まれ、本当に楽しんでいる」と、こうした見方を一蹴(いっしゅう)した。
山内氏に、何を相談しているのか、と尋ねると、「相談役にあえて相談するのだから、重い話なので言えない」と笑いながら、「例えば、将来ソニーのプレイステーション2が値下げして、任天堂のゲームキューブと同じになった時、さらに値下げするかといったこと」と、その一端を披露した。
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◇任天堂:「ニンテンドーDS」、国内で500万台突破
<2005年12月27日大阪本社版朝刊経済面>
任天堂は26日、昨年12月に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」の国内販売台数が今月22日に544万台になり、500万台を突破した、と発表した。
発売から12カ月での達成で、これまでのゲーム機の最速だった同社の「ゲームボーイアドバンス」(01年発売)の14カ月の記録を更新した。
DSは画面に触れて操作するタッチスクリーンなど従来のゲーム機になかったシンプルで感覚的な操作性が特徴。
犬を飼育する「ニンテンドッグス」など4本のソフトが販売数100万本以上のミリオンセラーを記録。
女性や高齢者層の新規取り込みに成功しているという。
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◇任天堂:次世代機「Wii」高機能と一線画すゲーム無関心層を狙え低価格“武器”「PS3」に対抗
<2006年9月15日大阪本社版朝刊経済面>
任天堂が14日発表した家庭用次世代ゲーム機「Wii(ウィー)」は、ゲームに関心を持たなかった層の取り込みを目指している。
据え置き型ゲーム機で主流だった高機能路線とは、一線を画した。
11月発売のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の「プレイステーション(PS)3」は、最先端の次世代DVD「ブルーレイ・ディスク(BD)」の再生機能も搭載し、高機能路線を極め、戦略の違いが際立っている。
Wiiはデジタルカメラの画像を加工して楽しめたり、似顔絵を作ってゲームのキャラクターにできる機能、ネットを通じて天気予報や最新のニュースが見られる機能も搭載する。
14日会見した岩田聡・任天堂社長は、ゲームの面白さを追求した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」などが欧米でも人気を集めてゲーム人口を拡大させたことを示しつつ、「ゲーム機の機能を極めても市場は拡大しない。
ゲームに無関心の人に毎日電源を入れてもらい、Wiiのある新しい生活を提案したい」と述べた。
さらに、過去の人気ゲームを利用できる仕組みにした。
大人のゲーム初心者を呼び込める脳トレーニングのソフトもWii用に制作する予定だ。
対するPS3は、超高速の演算処理速度を誇り、映像は実写並みの高画質。
BD規格の映画や音楽ソフトの再生など、多様な楽しみができる。
ただ、BDの部品不良でPS3は量産が遅れ、発売当初の出荷台数が国内10万台と、PS2の発売3日間の約100万台を大幅に下回る。
ゲーム専門誌出版社「エンターブレイン」の浜村弘一社長は「Wiiが友達とワイワイ飲むビールなら、PS3は夜一人で飲む高級ブランデー。
今年の年末商戦は価格から出荷台数でWiiが上回るだろうが、PS3は約10年間は売れるだろうから5~10年後の評価は語れない」としている。
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◇任天堂:売上高1.7倍の1兆6000億円Wii、DSがヒット--3月期決算
<2008年4月25日東京本社版朝刊経済面>
任天堂が24日発表した08年3月期連結決算は、売上高が前期比1.7倍の1兆6724億円、本業のもうけを示す営業利益は同2.1倍の4872億円といずれも過去最高を更新した。
06年末に発売した据え置き型ゲーム機「Wii(ウィー)」の販売が年間を通じて寄与したほか、携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」と合わせ、いずれも本体とソフトが大きく伸びた。
この2年で売上高は約3倍、営業利益は5.4倍に伸びた。
為替相場の円高の影響で、923億円の為替差損が発生し、最終(当期)利益は同47.7%増の2573億円だった。
DSは同29%増の3031万台、Wiiは同3倍の1861万台販売した。
ソフトも、100万本を超えるミリオンセラーがDSで15タイトル、Wiiで12タイトルとなり、計3億522万本を販売した。
岩田聡社長は記者会見し、「女性やシニア層などユーザーではなかった人に商品を届けることができた」と述べた。
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◇任天堂:営業益58%減中間連結、4年ぶりWiiブーム終わり
<2009年10月30日東京本社版朝刊経済面>
任天堂が29日発表した09年9月中間連結決算は、売上高が前年同期比34.5%減の5480億円、営業利益が同58.6%減の1043億円となり、4年ぶりに減収減益となった。
06年末の発売以来、高成長を支えた据え置き型ゲーム機「Wii(ウィー)」本体の販売台数が同43%減の575万台と急減したことが影響した。
会見した岩田聡社長は「上半期の不振を取り戻すのは難しいが何とか勢いを取り戻したい」と語った。
「ニンテンドーDS」シリーズの携帯型ゲーム機本体は前年同期比15%減、ソフトも同16%減とふるわなかった。
厳しい事業環境が続くため同日、10年3月期の業績予想を下方修正し、売上高は従来予想より3000億円減の1兆5000億円、営業利益は同1200億円減の3700億円とした。
岩田社長は「Wiiは失速した」と率直に認め、「有力ソフトを連続投入できず、良いムードが冷えてしまった」と述べた。
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◇任天堂・DeNA:提携株式持ち合いスマホゲーム開発
<2015年3月18日東京本社版朝刊1面>
任天堂とソーシャルゲーム大手「ディー・エヌ・エー」(DeNA)は17日、資本・業務提携で合意したと発表した。
スマートフォンやタブレット端末向けゲームの共同開発が柱。
業務面での結びつきを強めるために相互に株式を持ち合う。
「ファミリーコンピュータ」など専用機向けゲームを収益の柱に据えていた任天堂にとって、提携先を介して初のスマホゲームへの参入となる。
任天堂の岩田聡社長とDeNAの守安功社長が東京都内で記者会見して発表した。
互いに約220億円を出資、任天堂はDeNAの株式10%を取得し、DeNA創業者の南場智子氏に次ぐ2位の株主になる。
DeNAも任天堂の株式1.24%を取得する。
任天堂が持つ人気ゲームを活用し、両社で新たなスマホ向けゲームを開発する。
スマホ、パソコン、専用機向けの各ゲームを結びつける横断的な会員制サービスも共同開発する。
任天堂はスマホを利用する幅広い顧客層を取り込み、専用機向けゲームに誘導したい考えだ。
DeNAも、任天堂の人気キャラクターなどを使うことで、スマホゲーム事業をさらに強化できると判断した。
任天堂は従来、スマホゲームへの進出には「収益向上につながらない」として慎重だったが、スマホ向けゲーム市場の拡大や過去の円高の影響で、2012年3月期から3期連続で営業赤字に転落。
方針を転換し、スマホゲーム市場の成長を取り込む。
また、任天堂は「ニンテンドー3DS」「WiiU」に次ぐ新たな専用ゲーム機を開発中だと明らかにした。
岩田社長は「まったく新しい概念のゲーム機」と説明。
来年にも具体的な内容を明らかにする。
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◇岩田・任天堂社長死去:告別式1500人が最後の別れ
<2015年7月18日大阪本社版朝刊経済面>
任天堂社長で今月11日に55歳で死去した岩田聡氏の葬儀告別式が17日、京都市左京区の岡崎別院で営まれた。
台風11号の影響で風雨が強まる中にもかかわらず、約1500人が参列し、故人との別れを惜しんだ。
葬儀委員長の竹田玄洋専務は「辛抱強く対話することでしか人の成長がありえないという強い信念と、必ず分かり合えるのだという人に対する愛情にあふれる、文字通り指導者そのものでした」と故人をしのびつつ、「いっそうの努力をもって社業に精励しますので、社員一同とご家族一同を、お守りお導きください」と弔辞を読み上げた。
岩田氏と親交が深かったコピーライターの糸井重里氏は「正直で全てのことにまっすぐに向かっていく人だった。
悔しいし悲しいしつらい」と、時折涙で声を詰まらせながら、弔辞を述べた。
参列した山田啓二・京都府知事は「(55歳は)あまりに若過ぎる。
京都の産業界にとって大変素晴らしい人材を失った」と早過ぎる別れを惜しんだ。
ゲームやアニメで人気の「妖怪ウォッチ」を手がけるゲームソフト会社「レベルファイブ」(福岡市)の日野晃博社長は「鋭いゲーム感覚をお持ちの尊敬できる経営者だった」と話した。