「枇杷はちっさな木の実だから
だっこしあって
いきている」
子供とよく歌ったものだ。

郷愁をそそる枇杷の季節。
茂木枇杷をいただいた。
産毛に包まれた、大きな茂木枇杷が箱の中に整然とならぶ。


実家の広い庭には枇杷の木が二本、沢山の実をつけていた。

周りにはブルーの紫陽花の花が重なり合った6月の庭は好きだった。

家族の行事の一つ、茂木枇杷狩りは楽しみだった。
海辺に座って、枇杷をお腹いっぱい食べ、海辺であそぶ。

今も 枇杷の季節になると懐かしく思い出す。

フラリと出かけ、長崎の茂木の海辺を散策したくなる。
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久しぶりの自宅は初夏の青空にピンクのゼラニュウムの花で埋め尽くされていた。

木々の育ちは健やかだ。

ルーフバルコニーにほっと寛ぐ。

苺は見事に小鳥達の宴の後で、黒ずんで形を残している。

階段踊り場で降り注ぐ光をカーテンごしに浴びてる「サクララン」。
見事に花をつけていた。

ガラス細工のような光沢で、パチッと愛らしく、一際眩しい。

わが家では初めて咲いたサクラランに感動ひとしきり。


小鳥の囀りと風のそよぎに、真っ白いカーテンまで心地よげに揺れる、長閑な昼下がり。
ぐったり疲れて飛行機の中。
乱気流に揺れていたようだが、この時ばかりは揺り篭となる。

はや、綿菓子のような雲の上の天使となる。


二週間の滞在は、過ぎ去ってしまうと、今となっては遠く過ぎ去りし日のようだ。

福岡を発つ時は三月のような寒さだったのに、今はすでに真夏の暑さでサンダル履きの帰り。

住み慣れてしまい、帰るのか 行ってくるのか、戸惑いを感じるほどだ。


僅か1時間半の空の旅だが、地上を遥か遠い世界にして、雲海に遊ぶ天使のよう。

上空に上がるにつれ、羽田空港に見える飛行機は、まるでマンモスの白骨に見える。次第に広がる全てが、ゴミ捨て場のようにみえたのは、余りにも美しい上空にいたからだろうか。

おもわず、目をこする。

福岡空港へ次第に下降する。
何と美しい海、
何と長閑な世界、
人として生まれ、このチキン上で生きている感動に、びったり窓に顔をつけ、自然に溶け合っていく心地良さを確認する喜びの時となる。

地上の人となるり、
地上の人の営みが始まる、
つかの間の「自然との語らい」は、雲海の大風呂敷に大切に包んでおこう。