年二回 健康診断を受けてる病院から、お盆休診の挨拶状が届く。

遠いけれども何年も続けて健康診断に行く。
何故 そこに行くの? と自分に問うてみる。

慈愛に充ちた診察は勿論である。
ほのぼのと温かいメッセージは数行のことながら、童話の世界へ誘ってくれるようです。

「青い空に白く輝く入道雲。暑い夏がやってくると少年の頃の楽しかった夏休みを思い出します。汗びっしょりで目覚めて、しばらくぼんやりしていた昼寝の後、塩をつけて食べたスイカのうまかった事、裸足で味わった浜辺の砂の熱さ、海水の気持ち良さ。
あの頃、お年寄りも大人も子供も、家庭内でも社会の中でも、それぞれ自分の場があり、沢山の笑顔、笑い声があったように思うのですが。
(社会の進歩)(便利さ)は必ずしも人を幸福に導くものではありませんね。……………………」

勿論、院内は美術のポスターや美術誌。
待ち時間に手放したくない良書が並ぶことも魅力だ。

そうした人間味溢れる医者の傍に人は集まる。
スタッフも雰囲気も患者も美しいとさえ思う。

理性は感性で完結されるように思う。

緑を通して吹く風はひんやりと気持ちよい。
アイビーの蔦の向こうは樹海の緑が揺れる。

夕凪の風を感じる頃には、書斎から飛び出して、松林と眩しい海原に会いに行こう。

さぁ、ウォーキングだ。
残念だった。

素敵な一日の終わりをブログにして更新したつもりだったが…………


その日は、
猛暑を忘れるほどに、キュンと冷えた喫茶店。

ロングヘアをショートにし、明るく染めたヘアスタイルは友を生き生きとさせていた。

田舎暮らしから都会生活に移って数ヶ月、美しい空気と水の代わりに、都会の文化が友を幸せにしているようだ。
よかった!

ブラインドから洩れる光が、優しく語る友の横顔に揺らぐ。

しばし、語り合った後、三越ギャラリー「春の院展」へ出向く。

若い頃、油絵を学んでた者同士、意気投合することが多い友だ。
幸せなことだ。

ギャラリーでゆったり観賞する間なく、次の約束の時間が迫り、先に失礼して博多駅へ急ぐ。

絶え間無い努力で、社内コーチングを成功させている友から学ぶことは多い。
コーチである者同士、会話は感動や琴線に触れることがしばしば。

懐石料理で沢の流れのようなお給仕は、一層料理を楽しむことが出来た。

お腹も心も豊かに癒され、再会を約束して別れる。
学びて時にこれを習う、また説ばしからずや。
朋、遠方より来るあり、また楽しからずや。……

蕾と開花の蓮花二枚の美しい写真付き、暑中見舞ハガキ頂いた時に、この論語がよぎる。

聴講生(東洋の心を学ぶ会)の大先輩故に「学び」を近くに感じたのだろう。
感謝です。

…………
「複雑系思考でよみがえる日本文明」石川光男著
読み始める。

私が理解できるような内容ではないようだったが、力の限り読み進んでいく。

この本を出版するに当たっての一つに興味があった。
「活力を失い、方向を見失ってさまよっている日本人が、もう一度自分の足元を見つめ直し、真の意味での自信をとりもどして、21世紀の創造にチャレンジ出来るような手がかりが必要な時期にさしかかっている認識………」

膨大な資料と知識に圧倒されながらも、ある1ページに感動の瞬間があった。

何と「東洋の心を学ぶ会」の師であった儒学者岡田武彦先生のことが記されていた。

………伊勢神宮の建築に象徴される「清楚・質素・純粋」等の日本文化の特質を、岡田武彦氏は「簡素」という言葉で表現されているが、著作は「淡」という言葉で表現しよう…………

大切に書棚に収めてる岡田先生の「簡素の精神」を思う。

また、非常に感動、共感した箇所があった。
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表現を抑制した「淡」の文化は、それを受け取る側の感性が豊かでなければ、その輝きを読み取ることはできない。
世阿弥は
内心の感、外に匂いて面白きなり。
と言っている。
「匂い」を感じる感性がなければ、幽玄の世界の豊かさを味うことは出来ない。そのような意味で、「淡」の文化は感性と情緒を重視する文化であり、感性によって繋がる人間関係を土台とする文化である。
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蝉時雨は一際賑やかに、日は西に傾き始めた。

さぁ、ウォーキングに出かけよう。