今朝目覚めると雨。
洗い流してあげたいと思う樹木が久々の雨に光り、なんと清々しいこと。
紅葉した樹冠も一層鮮やかに見える嬉しい雨の一日。

ヨーガも、雨で潤いを増しているからか、しっとりとして、心穏やかに、身体しなやかに。

友が届けてくれた鳴門海峡特産「くきわかめ」。
実は大阪の友が「くきわかめの佃煮」を作って送ってくれた。 その感動の話を聞いた別の友が、わざわざ届けて下さったのだ。
こうなると、腕によりをかけ、佃煮作りに挑戦しましょう。早速、塩抜きにかかる。

<史跡めぐりをしましょう>とお誘いがあった。
スケジュール、幸いブランク、即答「YES」。
中々互いに時間が取れない仲、この時間を活かそう。 今日 いま、ここを生きる為に、まず動いてみる。

東京の友より長いテレフォン。 日常のいろいろなことを、ほとばしるように早口で話される。
こんな時、自ずと傾聴姿勢に入る。
心で聴く、相手の心に沿っていく、「大丈夫よ」と自分に言い聞かせながら………
一通り気が落ち着いたのか「では、またね」と電話は切れた。

親友よりテレフォン
先日、300人入る会場で、シャンソンコンサートを無事終ることができた、と安堵と喜びの声。
ほんとによかった!
よく やった!
生憎と応援に行けなかったが、「生きる喜びと元気を与えられたように思う」という。
やはり、この成功は自信と努力と感謝だろう。
無限の可能性を信じ、前に進む友は素晴らしい。
イベットジローご夫妻の来日を機に、ご招待を受けて、ちっさなサロンで数人を集めた内々のコンサートに、この友と参加して以来、魅せられた彼女のたゆまない努力の結晶なのですから。

濃紺のクロスに変えたテーブルで、ヨーガの後の雨の半日を、友等の電話を受けながら、心静かに過ごす一日も日が暮れようとしている。
早朝のラッシュ、地下鉄に乗る。
両手は固まったまま、右手は吊り革、バッグを持つ左手はカチッとネジマキ人形が止まったように博多駅まで。
西へ人口、文化が延びていることと、ビジネスマンの出勤ラッシュも重なった。
自由な目を遊ばせ広告の文字に見入る。 「自殺ストップ」、「うつ病のくすり」、そんな広告に囲まれて、ギュッギュッ詰めの地下鉄に乗り出勤するビジネスマン。
パーッと華やかな元気が出る広告もいいものだろうが、探しても目に入らない。

JRかもめ11号新幹線にゆったり手足伸ばし、車窓を楽しみちっさな旅・武雄。
子供の頃、父とよく嬉野や武雄に来ていた。
武雄の大楠(樹齢3000年)の幹を一周ゆったり回ると大楠の威厳に圧倒されながらも、朗らかな温かい平安に包まれていく。
母親の膝元で遊ぶ子供のようになって、年輪を刻んだ幹と言葉のない会話をする。
亡き父も傍にいるようです。大楠の周りのコスモス揺れて。
「器の中の水は光る。海の水は暗い。小さい真理は明瞭な言葉を持つが、大きな真理は大きな沈黙を持つ。」 タゴール

「死ぬ瞬間」読み終わる。 読み終わった瞬間、しばらく静かに目を閉じていたかった。
自分の生きざま、定めてきたミッション、人生を見詰める日々等と448ページに詰められた大切な、大切なことと練り合わせるようにいつまでも瞑想していた。

ターミナルケア(末期医療)に関心を寄せる人々にとっての「聖書」とすら呼ばれている「死ぬ瞬間」の最後のページは静かに、淡く、優しく、文字の魂が紡がれていた。

「言葉を越える沈黙」の中で臨死患者を看取るだけの強さと愛情を持った人は、死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止であることがわかるだろう。 人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。 広大な空に瞬く百万もの光の中の一つが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく。臨死患者のセラピストになることを経験すると、人類という大きな海の中でも一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。そしてその存在は有限であること、つまり寿命には限りがあることを改めて認識させられるのだ。人はその短い時間の中でかけがえのない人生を送り、人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。
「死ぬ瞬間」から