「死の舞踏」の向こうに見える救い………西南大講義。 ちょっぴりユーモラスにボソボソと話す講師の進行が面白い。
始まって数分経つと「この講義は既に言い切った」と。 余った時間をどうするか、と言いながら入っていく講義が面白い。 救いがわからないということは絶望や苦しみも知らないと言うことだ。 現代人も中世の人達と同じように「死の舞踏」の中にいる。 個々でなく私達と言う複数の中で助けあうことが大事ではないかと締め括る。
久しぶりに泣けた。溢れ出る涙を抑えることができなかった。
「ビルマの竪琴」を観た。 一人の上等兵が同胞の霊を弔うために僧侶となってビルマに残る決心をする。同部隊と出会っても無視して去っていく。その深い思いに打たれた。 その足で天神の雑踏に揉まれ約束の食事を共にする。 それもこれもやってるのは私自身なのだ。 今更ながら人間とは不思議なものだ。25年程前の公開講座で「人間学の定義」を受講した。ノートを振り替える………もう一度受講したいとしみじみ思う。

月刊誌「致知」の人間学を学ぶ(こぶしの会)で語ったことだ。
孔子が弟子のそん子と子貢に言う。
そん子に「一以て之を貫く」
子貢に「それ恕か。己の欲せざる所、人に施すことなかれ」
ここの処、ずっと心で繰り返す。
空模様急に険しく風も吹く。 遠方より楽しみに訪ね来る友は迷いながらも降り出した雨に日を改めることとなる。
友の笑顔を思いつ焼いたケーキをちょっぴり残念に思いながら、予定が空いた一日を読書とする。
獅子文六「自由学校」を読む。 佐々木邦のユーモアの土壌を最も旨く利用した獅子文六にひかれた。佐々木邦のユーモアというのはまず相手を肯定する。そして何か悪いことをしても、それを許すという。
夕方の二時間近くの散歩を除いて、読書に夢中な一日。

みんな集まって本気で聞けよ
まづ第一に毎朝起きたら
あの高い天を見たまえ
お天気なら太陽、雨なら雲のいる処だ
あそこがみんなの命のもとだ
いつでもみんなを見ていてくれるお先祖様だ
えらい人や名高い人になろうとは決してするな
持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人になるんだ
天から受けたものを天にむくいる人になるんだ
それが自然と此の世の役に立つ