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晴れた日の小鳥の声は一際澄みきって華やいでいる。
家中の窓から絶えまなく、遠く近くに聞こえる。
鳥もその時々でさえずり方が違うようだ。
小鳥には小鳥の思いがあり、お喋りしているのだろう。

目覚め読書の「音楽世界めぐり、ソビエト編」(昭和44年発行)読み終る。
チャイコフスキーのヒューマニズムで「悲愴」のことを知った。
——————19世紀末のロシア社会の重苦しい空気の中で誠実な芸実家、
孤独なインテリジェンチャとして生きなければならなかった
チャイコフスキーの苦悩はあの「悲愴」を生んだ。
彼の死後、この交響曲が演奏された時、
場内にすすり泣きの声が聞こえたといわれる。
この時の感動をロシア国民楽派の
理論的指導者スターソフは次のように書いている。
゛それは絶望の号泣にほかならない。
まるで「ああ、私はなんのために生きてきたのか?」と
終楽章の旋律にいわせているようだ。
この交響曲の気分は恐ろしい、苦しい気分である。
ここに表現されている、しかも原因不明の精神的苦痛を、
その生涯にわたってなめなければならなかった一人の人間、
一人の芸術家に対する苦しい同情を、
聞くものに体験させるのだ………
おそらく、このようなものは、
音楽の中でかって一度も描かれたことはなかったし、
精神生活のこれほど深刻なばめんが、
このような非凡な才能と美しさで表現されたことはなかっただろう゛
この魂の苦悩は人間社会のあらゆる種類の不正と抑圧に
対してまともにぶつかり、
たたかい真のヒューマニストのものではないでしょうか。———
「チャイコフスキーとソビエト音楽」園部四郎より

平塚市に住む友より、彼女らしい、
淡く優しい、いわさきちひろの「猫とこどもたち」の絵葉書が届く。
几帳面な筆跡が懐かしい。 ありがとう。



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近くに十郎川二級河川がある。

それぞれの季節に表情を変え、楽しませてくれる。
川一面に緑萌え、炎天に緑そよぎ、トンボが飛んだり、
夕日に輝く水面と植物のコラボは懐かしい風情。
折々に川の変化を楽しんではいた。
十郎川の上流に思いを巡らす時、子供の頃、
父が長崎諫早の本明川を上流まで
ハイキングに連れて行ってくれたことを思い出す。
辿り着いた所は、確か「御手洗観音」という、
見上げる崖に大仏像が数体彫られていた。
木々が繁り、薄暗くしっとりとして、
今、思えば特別にそこの「気」が高かったのだろう。

十郎川と本明川が重なる。

最近、この川に寄せる感動が増す。
一枚の情緒ある美しいパンフレットに惹き付けられる。
「十郎川の自然を楽しもう会」の熱い活動に感動。
今年は特に川の刈込様が、一人一人の魂のうづきのように表現され、
まるで川の中に五線譜でもあるかのように、
音符が流れ、川の喜びが聞こえるようだ。

川に沿って走るバスに乗った時の楽しみの一つにもなっている。
窓から眺める川模様は、
驚くほど生き物への細やかな心配りがなされているのだ。

まるで私自身が川の生き物の一つの生命体になったような、
心地よさが伝わってくる。

昔々の日本は閑で土や川のせせらぎや草の臭い等と
一体になっていたことだろう。
当たり前に自然な生き方で万物一体だったのだ。

今、川の生き物、植物、周囲を飛び交う鳥達は、
自然の姿の豊かな川の世界を満喫してることだろう。

詩人の金子みすずだったらどう詩うだろう。
みんなみんな
お祭りの宴に、
笑顔絶えず、
みんなちがって、
みんないい
と詩うところだろうか。


「十郎川の自然を楽しもう会」を立ち上げて(核)となった方の
エネルギーが波動となり、大きな輪に育ってるという。


「十郎川のこと」
水質は市内でもトップクラス。
メダカ、モクズガニ、ツクシオオガヤツリ、
ヨシ、カワセミ、サギ類等が生息する多様な生き物の宝庫。
ツクシオオガヤツリは絶滅危惧類1B類に指定され、
福岡県指定天然記念物となる。



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そう甘くはなかった。

感動と感謝で毎朝収穫していた白菜や名前も知らない野菜達は、
ぐんぐん葉を大きくしていく。

だがしかし、虫との格闘であることを知らなかった。
毎朝虫を探すのが日課となったが見つけることが出来ない。

驚くほどの保護色で身を守ることを知っている。
生態系の恐るべき神秘に感動と変わる。

見事に虫の勝利である。

虫から渡されたはたし状は美しい虫のアート作品としか映らない。
見事に美しい虫喰いはっぱの陰影は「繊細な美」としか見えなくなったのは、
敗者となっても幸せなのかもしれない。

虫との格闘にも疲れ、まともな葉っぱにも出会わなくなり、
今日を最後に引っこ抜いてしまった。
野菜と生まれた、折角のお役、ご苦労さん。


「NHK特集」を観た。
「廃棄物解体」
——現場は警告する——
原子力発電所解体のことだ。
老朽化され、それを止めても、
既に原子炉は放射能を生みだし続けるものに変わってるという。

今、世界中が廃棄すべき原子炉の場所がないのだ。
恐ろしいことに設計の段階で解体のよみは全くしてなかったという。

プルサーマル中止運動をやってる知人のお陰で、
学びのチャンスを頂くことに感謝している。

まず知ること。
活動してみること。