晴れた日の小鳥の声は一際澄みきって華やいでいる。
家中の窓から絶えまなく、遠く近くに聞こえる。
鳥もその時々でさえずり方が違うようだ。
小鳥には小鳥の思いがあり、お喋りしているのだろう。
目覚め読書の「音楽世界めぐり、ソビエト編」(昭和44年発行)読み終る。
チャイコフスキーのヒューマニズムで「悲愴」のことを知った。
——————19世紀末のロシア社会の重苦しい空気の中で誠実な芸実家、
孤独なインテリジェンチャとして生きなければならなかった
チャイコフスキーの苦悩はあの「悲愴」を生んだ。
彼の死後、この交響曲が演奏された時、
場内にすすり泣きの声が聞こえたといわれる。
この時の感動をロシア国民楽派の
理論的指導者スターソフは次のように書いている。
゛それは絶望の号泣にほかならない。
まるで「ああ、私はなんのために生きてきたのか?」と
終楽章の旋律にいわせているようだ。
この交響曲の気分は恐ろしい、苦しい気分である。
ここに表現されている、しかも原因不明の精神的苦痛を、
その生涯にわたってなめなければならなかった一人の人間、
一人の芸術家に対する苦しい同情を、
聞くものに体験させるのだ………
おそらく、このようなものは、
音楽の中でかって一度も描かれたことはなかったし、
精神生活のこれほど深刻なばめんが、
このような非凡な才能と美しさで表現されたことはなかっただろう゛
この魂の苦悩は人間社会のあらゆる種類の不正と抑圧に
対してまともにぶつかり、
たたかい真のヒューマニストのものではないでしょうか。———
「チャイコフスキーとソビエト音楽」園部四郎より
平塚市に住む友より、彼女らしい、
淡く優しい、いわさきちひろの「猫とこどもたち」の絵葉書が届く。
几帳面な筆跡が懐かしい。 ありがとう。


