マヨルカ島でのショパンについて
Op.40 『ハ短調2番のポロネーズ』 (Pollini)

 


字幕翻訳で読んだところ、少しわかりにくく、

作品について正確に訳されているかわからないので

ウィキペディアと照らし合わせながら、ショパンが

マヨルカ島で過ごした時期に完成させた作品と、

着手した作品の楽譜と演奏をまとめてみた。


ジョルジュ・サンドはショパンに対して

恋愛感情があったよりは計算高く、

ショパンに近づいていったというところが

そうだったのかと知ったことだった。

 

この動画で特に重要と感じた説明は、

ショパンの親友フォンタナという人物の存在で

ショパン亡き後も、ショパンの楽譜出版に奔走

していた。最後は病気と金銭苦に陥り自殺した。

 

軍隊ポロネーズ(Op.40Polonaise)は好きな作品で

この地で作曲されたことを知った。

 

ヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリヒマワリ

 

ポーランド国立ショパン研究所所長

Artur Szklener(アルトゥール・シュクレネル)
 

ジョルジュ・サンドとショパンは

マヨルカ島で3か月を過ごした。

2人は数年前から知り合いではあったが、

マヨルカ島に旅行する数か月前に交際を

始めたばかりだった。

ショパンには、ジョルジュ・サンドの

第一印象は良くなかった。
ジョルジュ・サンドからショパンに近づき、

1838年5月大きな進展があった。
ジョルジュ・サンドはショパンの親友グジマワに
長い手紙を書いた。

ジョルジュ・サンドは恋愛感情があって

近づいただけではなく、ある種の計画も告白していた。
14歳~15歳になる息子モーリス・サンドがリウマチを

患っていたために、何より温暖な気候で過ごさせて

やりたかった。

ショパンの担当医に、サンドの息子の病気は
有益かを相談したところ、肯定的だった。


ショパンは、突然の雨や気温の低下により
健康状態が急速に悪化し、結核の診断を受けた。

それによって、パルマから追い出された。
バルデモッサの廃墟となったチャーターハウスを

発見した

前奏曲の他に作品番号74を思い出さなければならない。
作品28番を完成させたあと、
作品9のポロネーズのような重要な作品にも
取り組んでいた。

Op.40 『ハ短調2番のポロネーズ』も
くり返しや和音の繰り返し、音符の繰り返しに
満ちているといえるだろう。

これはポロネーズのリズム、行進曲のリズムとして
純粋に音楽的に理解することもできる。

しかし、ここで扱っているのは

ショパンの作品の中で非常に独特なタイプの

ポロネーズで、非常に陰鬱な曲である。

ハ短調ポロネーズの最初の音符から、
ショパンが議論したいこと、
その一般的な表現法に反対したいこと、
そして非常に重要なことを言いたいと

思っているのがわかる。

ショパンと忠実な友人関係にある
ジュリアン・フォンタナとの間に、ある種の

創造的な対話に怒りを伴う証拠が見つかった。
フォンタナは、このとき作曲家が充分に

助けてくれなかった事に対して

何らかの不満を表現していた可能性がある。

彼はショパンが自分の才能を評価していないと

確信して生きていたが、同時にショパンが驚くほど

忠実な友人、もっとも忠実な友人であることに

変わりはなかった。

フォンタナは、このポロネーズの中に

彼の手紙への返事をみつけるだろうと、

彼に手紙を書いている。

ショパンは自分自身について、誰にも何も

与えることができないが、自分自身にも

非常に苦しんでいることを知っている。

ショパンの精神の複雑さ、変化する気分

それは一方では、雨や寒さにも関わらず

繰り返される脅威を私たちが扱っているからだ。

その一方で、私たちは苦闘している。
ショパンがマヨルカ島で死と隣り合わせだったからだ。

 

建物は非常に暗い雰囲気である。
しかし、それらは信じられないほどの

エネルギーに満ち溢れている。
創造的な活力は、ここで頂点に達する。
だからこそ、ショパンがマヨルカ島で書いた

音楽はとても素晴らしいのである。

この種の縮図は、一方では単一の作品、

単一の採掘という形で存在する。

学者たちは、

いまだに作品28の前奏曲の背後にある概念を
完全に理解しようと努めている。


彼らが理解しようとしているのは、一方では
自分の原稿を携えてマヨルカ島に行き、

他方では出版準備で構成するためバッハの

プレリュードとフーガ一式を携えてきたショパンが、

どのようにして、その二つのアイデアを創作精神の

中で、実際に処理したのか、そして、一方では

ここで扱っている一連の簡潔なアイデアを
他方では、形式的な概念に関して音楽史上、

まったく革新的で本質的にユニークなものを

どのように生み出したのかを理解しようとする

ことである。

しかし、このショパンの曲集を聴くと、
私たちは、ある種の音楽の永久機関を

扱っているようなものだとわかる。
(永久機関=
外部からエネルギーを受け取ることなく、

 永久に仕事を続ける)
 

それは、実際には無限に続く可能性のある

特定の形のリズムを持つ古代の列柱に少し似ている。
それらのバランスがとても美しい。

そしてショパンは、このように洗練され、完成され、
独特な形式を創造すると、同時に、そこに

信じられないほど多様な雰囲気を吹き込んでいる。

マヨルカ島で、わずか3か月の間に
ショパンは想像力の可能性を結集した。
彼は確かに創作活動において新たな段階に進んでいる


 

マヨルカ島で作曲された作品

Op.40Polonaise<軍隊ポロネーズ> no. 1 in A major "Military" (マウリツィオ・ポリーニ)

BalladeNo.2 Op.38

スケルツォOp39

pianosonataNo.35

Op.28Preludes  マルタ・アルゲリッチ

Mazurkas Op.41   サンソン・フランソワ

No. 1 in C♯ minor   0:00
No. 2 in E minor     3:17
No. 3 in B major     5:37
No. 4 in A♭ major   6:36

 

17 Polish Songs, Opus 74(ポーランドの歌) 生涯に渡り作曲された作品

Olga Pasichnyk, soprano - Natalya Pasichnyk, piano
1) Życzenie (The Wish) 
2) Wiosna (Spring) 1:47
3) Smutna rzeka (The Sad River) 3:38
4) Hulanka (Drinking Song) 7:00
5) Gdzie lubi (Where She Loves) 9:27
6) Precz z moich oczu! (Out Of My Sight!) 10:28
7) Poseł (The Messenger) 13:32
8) Śliczny Chłopiec (Handsome Lad) 15:48
9) Melodia (Melody) 18:30
10) Wojak (The Warrior) 21:10
11) Dwojaki koniec (The Double End) 23:20
12) Moja pieszczotka (My Darling) 25:38
13) Nie ma czego trzeba (There Is Nothing For Me Here) 27:41
14) Pierścień (The Ring) 30:45
15) Narzeczony (The Bridegroom) 32:21
16) Piosnka lietwska (Lithuanian Song) 34:26
17) Spiew z mogilki (Hymn from the Tomb) 36:24

 

 

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