小さな私 藤田とし子  1970年第2回ポプコン作曲コンクール参加作品

『小さな私』斉藤マリ(ヤマハボーカルスクール出身)

水色の恋 天地真理 1971年大ヒットした

0:49~「水色の恋」と同じフレーズが流れる

 

昨日、BSフジでGS特集を見ていたけれども、

その全盛期は1966年~1970年代に入るまでの時期で、

終焉に近づいた頃から、井上陽水や中島みゆき

ソロで堺正章が唄い始めたことが紹介されていた。

 

私も、少し前からこのブログで(財)ヤマハ音楽振興会の

ポプコン、コッキーポップを取りあげようと

調べ始めたところで、

1969年から始まったポプコンの初期には

合歓の郷でポピュラーソングフェスティバルや

作曲コンクールが(ポピュラーソングコンテスト)が

開催されるようになった。

 

テレビで放送されている演歌や昭和歌謡と

少しニュアンスの違う新しい音楽媒体を目指していた。

グループサウンズのバンド衰退のスキマ音楽になり

台頭すると、それが大きく花開くのに時間は

かからなかった。

 

私は、ポプコンは実質第2回からが本格的な

アマチュアの作詞作曲コンクール開催と感じていて、

1回目はデモンストレーションのようなものでは

なかったのかなという気がしている。

 

第2回のエントリー作品『小さな私』

藤田とし子さんが歌唱している。

作詞:田上えり Carlos Pesce

作曲:田上みどり  Feliciano Latasa 

編曲:生駒芳正→森岡健一郎

 

(アルゼンチンタンゴ「Gran Hotel Victoria」と

 酷似しているため著作権の問題も起きており

 外国曲の扱いになっている)

 

参加曲ではあったけれども、

この時、受賞作品ではなかった。

 

当時、ヤマハボーカルスクールの生徒だった

斉藤マリさんも第2回ポプコンに参加し

OTHERWISE    作詞作曲June Chun    

を歌ったが、参加のみで受賞はなかった。

 

そのコンクールで斉藤マリさんは、

藤田とし子さんが歌唱した

『小さな私』を気に入って、

ヤング720というテレビ番組で歌ったところ

レコード会社のディレクターの目に留まり、

後に、斉藤マリさんは、天地真理に改名して

プロ歌手デビューを果たしている。

 

1971年『小さな私』は『水色の恋』と変更され、

ポプコンから初の大ヒット曲が誕生した。

 

これは、入賞にかすりもしなかった作品が

国民的アイドルを誕生させて、大ヒット曲になり

日本の歌謡界の流れが変わるほど影響を与えた。

天地真理さんのキャラクターグッズが販売される

ようになった。

 

私は、天地真理の歌詞が載った水森亜土さんが

イラストを描いたゴミ箱を持っていた。

 

小柳ルミ子さんと天地真理さんが陰と陽で

対照的と比較されることが多かったけれども

天地真理さんがポプコン出身とは話題にも

ならない時代だった。

 

『小さな私』の受賞を果たせなかった

藤田とし子さんは、後に、有名な声優となり、

一休さんの声を担当していた。そして、

藤田さんは、のちに、『ムーミン』『一休さん』と

アニメの主題歌を歌って大ヒットしている。

 

 

ムーミンのテーマ

 

一休さん ははうえさま