夕方、いとこのお姉さんの通夜にでかけて
お別れしてきた。
私が4歳の時にオルガンを譲って下さった
いとこのお姉さんだった。
今年5月ゴールデンウィーク頃から、
急速に病状が悪化したという話だった。
私の4歳頃の記憶だけれども、、
お姉さんが立派なピアノを購入して
オルガンが不要になったので、よかったら、
ご近所でピアノを習ってみてはどうか?と
オルガンを譲って下さり、ピアノレッスンを
勧めて下さった。
家の向かいに、個人ピアノの先生が住んでいて
「せっかく、お姉さんから譲ってもらったので
ピアノを習いに行ってみない?」と母に促されて、
習い始めると、毎日、ずっとオルガンの前に座り
友達と遊ぶよりも、楽器に触れるのが楽しくて
一日中、オルガンで何か演奏していた。
そのお姉さんからオルガンを譲られなければ
私が音楽の道に進むことはなかっただろうと
思うので、私の人生に大きく関わった方が
亡くなったという気持ちが大きい。
その後も、小学校の先生をしておられたので
「お姉さんのような人になりなさい」と
うちの母は、お姉さんに憧憬の念を抱いて、
私もそうなるようにと諭していた。
昭和初期生まれの叔母たちが90歳前後で
亡くなられるのは続いていたけれども・・・
その子供世代が亡くなるのは、まだちょっと
早いのではないか、、とショックを受けている。
考えてみれば、いとこたちもいつのまにか
もう60代70代という年齢になっていることに
気づいた。
親戚の不幸でもないと、親類が揃っていろいろと
話をする機会もないので、お互いの近況について
久しぶりに会話をしてみて、歳は取っているけど
ああ、子供の頃のままだなと懐かしかった。
亡くなられたお姉さんは70代で、
ご兄弟がなく一人娘さんで生涯独身だった。
すでにご両親も他界して身寄りもないので
親戚一同を代表して、
本家の長男さんが喪主を務めてくれたけれども、、
家で亡くならず、病院で亡くなっても、
孤独死になることがあるんだよなぁ。。。
うちの妹から、
「おねえちゃん、葬儀代ぐらいは自分でなんとか
用意しておいてよね」と言われたのを思い出して、
お金がないと、死ぬに死ねないよなぁ~
自分の人生の引き際を考えると難しいけど
立つ鳥跡を濁さずで、、自分のことは
誰にも知られずひっそりでいいかと思う。
でもなぁ~
今日も、通夜の遺影や棺で対面するのでなく
生きているうちにお会いしておきたかったし
お礼が言いたかったと、つくづく思った。
生きているうちが花
元気なうちに
会いたい人には会っておきたい