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Surfin U.S.a

California Dreamin

 

ビーチボーイズのチュウシンメンバーで

ボーカリストのブライアン・ウィルソン氏が

死去したことが11日に発表された。82歳だった。

 

ビーチボーイズは日本の「ホンダ」をタイトルにした

曲を書いていた。この曲のヒットを受けてホンダCA100(スーパーカブ)がリブランドされて販売された。

 

ホンダのスーパーカブCA100  

 

1960年代にヒットした曲が多く、すぐ思い浮かぶ音楽がないと思って聴いてみると、知っている曲があり、

独特のカリフォルニアサウンドはどこかで聞いたことがあったなと思い出したし、日本のグループサウンズにも

大きな影響を与えてきたバンドだった。

 

ブライアン氏は、復帰してからカバー曲も歌っていた

ようで、「夢のカリフォルニア」がカバーされていて

ビーチボーイズサウンドになっていて素晴らしかった。

 

KYODO

デイリー

 

ビーチボーイズは1961年カリフォルニア州ホーソーンで結成されたロックバンド。

 

ブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟と

いとこのマイク・ラブと友人のアル・ジャーディンが

メンバーとなり、ウィルソン兄弟の父親のマリーが

マネージメントを行うガレージ・バンドとして

カリフォルニアのサーフィン、車、ロマンスといった

若者の文化を象徴するような音楽を生み出して

1963年『Surfin U.S.a』が大ヒットした。

 

ブライアン氏は、歌手、ソングライター、レコード

プロデューサーであり、ザービーチボーイズの

共同結成者だった。

バンドを始める以前の学生時代には、バッハや

ベートーヴェンなどクラシック音楽に親しみ、

またジョージ・ガーシュインやフィル・スペクター

バートバカラックにも強く影響を受けた。

 

1964年頃からビートルズの人気に脅かされ始めた。

その年に神経衰弱を起こすと、コンサートツアーは

辞退してプロデュースに専念した。

1960年代後半には精神的に不安定となり、引きこもり、過食、薬物乱用などから音楽活動は著しく低下し、

カムバックを果たしたのは1977年ソロ活動からだった。

 

  ヒマワリ       ヒマワリ       ヒマワリ

 

<ブライアン・ウィソンの作曲スタイル>

ウィルソンの音楽構造によく見られる手法には、

セブンスやナインスといったジャズコードがある。

 

ウィルソンは、マイナーセブンスコードの使用は

バカラックの音楽への親近感によるものだとしている。コードの転回形、特にトニックとベースに5度を

置いたものも彼の作品に多く見られ、これも

バカラックの影響を受けている。

 

フラットサブトニックはフォーフレッシュメンや

ポピュラー音楽全般に見られ、ウィルソンの作品で

最も多く登場する非全音階コードである。

 

突然のアカペラパートへの突発的な中断も、これも

フォーフレッシュメンから借用したもので、彼の音楽のもう一つの特徴であり、「ソルトレイクシティ」(1965年)や「スループ・ジョンB」(1966年)で採用されている。

ウィルソンの作品の多くは不安定な調性の中心を特徴としている。

ダイナミックな変化を生み出すために、

「truck driver's modulations,(変調)」を含む詩節や

コーラス内での調の変化を頻繁に用いている。

三度展開はもう一つの繰り返し現れる技法である。

ウィルソンのベースパートはメロディアスであることが多く、彼のアレンジメントでは重要な位置を占めている。また、音楽構成に半音階主義を取り入れている。  

 

半音階ベースの下降の使用は、「Our Prayer」(1969)で最も顕著に表れている。他の曲は「不安定な8分音符の

クラスターとゆったりとしたシャッフルグルーヴの上にシンコペーションの練習と対位法が積み重ねられている」のが特徴で、プロデューサーのアラン・ボイドは、

1970年代のウィルソンの作品において、この特徴が

「ほとんど躁病的なエッジ」を帯びていたと述べている。

ウィルソンの曲の中には、I – IV – I – Vのパターンを取り入れた曲もある。これは「Da Doo Ron Ron」から

派生した手法である。また、「Be My Baby」に触発された、中音(iii)から始まる五度圏のシーケンスも取り入れている。彼は、段階的に下降する旋律線 、段階的に

全音階的に上昇する旋律線、そして全音階のルート音の

動きを頻繁に用いている。

 

多くの曲で、スーパートニックコードとドミナント

コード、あるいはトニックコードとフラットサブトニックコードが交互に用いられており、後者は「Guess I'm Dumb」のヴァースや「California Girls」のイントロで

特徴的である。

 

Little Honda ホンダのスーパーカブが歌われていた

Be My Baby

Surfer Girl (1964)

Don't Worry Baby (1964)