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最近、GPTというかAIに相談する人が

増えているそうで、、

 

シニアバンドのボーカルさんもその一人で

定例会に来て下さるお客さんに案内状を出したいので

ボーカルさんに案内文作成をお願いしたところ・・・

 

「GPTで作成してみました」と受け取ったら

「音楽発表会のご案内」となっていたので、

「シニアバンドの定例会なので訂正願います」と

頼んだら、再び、「音楽会のお知らせ」で戻ってきた。

 

「シニアバンドの定例会」と説明しても、

ボーカルさんもわかっているはずだけども、、

GPTに丸投げしていたのか、訂正してもらえず

「手書きで書きこんで、これでお願いします」

と、強制的に変更してもらったことがある。

 

GPTに頼り始めると、

「考えない人」になるらしい。

そして、

GPTの回答が変でも正しいと思えるようで、

GPT教の熱心な信者さんだなと感じた。

 

 ヒマワリ       ヒマワリ       ヒマワリ 

 

どうも、、

私から見て、GPTに頼るボーカルさんの顔は

のっぺらぼうで、顔のパーツがない。

いつも顔を見ているのに、顔が浮かんでこないのだ。

 

どんな顔の人だったかな、、

メガネかけていたっけ?裸眼だっけ?

ほぼ印象に残らないので顔が思い出せない。

 

なぜ、そうなってしまうかというと、、

 

結局、こちらから話や説明をしても、

たぶん、GPTに確認を取ってから、

私に返答してくるからではないかな。。

 

XやFacebookにコメント戴いても、

多分、GPTから引用のカキコミだろうと

気に留めていないこともある。

 

間接的に、GPTとやりとりしているような

印象を持っていて、ボーカルさん自身の

考えた言葉で話している印象を受けないので、

目の前にいる人でありながら、意思疎通が

あまりできていないような感じがしている。

そのうち、どんな顔の人かを忘れてしまい

希薄になっていった。

 

先日、

シニアバンドの定例会本番直前のことだった。

ボーカルさんの歌い方も、GPTに支配されすぎて、

どこか人間的な情緒が消えていたのを感じて

指摘したことがあった

 

「音楽は仕事の作業とは同列にできないし、

 GPTなんて不要だと思いますが・・

 楽譜がすべてです。まずは楽譜を読む努力をして

 自分の解釈で音楽を表現することが大切です」

と意見をした日があった。


 

音楽て、GPTとは真逆なところにあり、

楽譜から解釈して、空想力や創造する力を養ったり

自由な発想から即興や意外性を楽しんだりするもので、

事務的に型にハメて形式化するものとは違うので、

コンピュータから得たことだけをやり続けると

自分を表現することから遠ざかってしまうし、

どこか冷めたものになってしまう気がする。

 

だから、

音楽をするのに、GPTて必要ですか?

という疑問を持っている。

 

 

 

 

 

 

今日のひとことブログ

 

 

 

 

 

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