タレントの石橋貴明さんが食道がんの公表し

しばらく休養生活を送ることが報じられた。

 

 

動画サイトで、石橋貴明さんの声を聞いてみたら

喉の奥に何か引っかかるかすれたような力のない

食道がんの人の特有の声だったので、すぐにわかった。

 

2023年7月頃は、全く元気な声だったけれども

2023年12月には、今のようなかすれ声だったので、

冬に入る頃から、疲労や風邪のような症状と思い込み

やり過ごしてきたのではないかなと思った。

 

この病気、なんとなく声でわかる。

声量もなくなるし、老けたような声に変化する。

 

昔と違って医療も進歩しているだろうし、

石橋さんもまだ体力があって若いので、

治って仕事復帰できると良いなと思う。

 

ヒマワリ       ヒマワリ        ヒマワリ

 

 

私の父が2010年76歳の時に食道がんが見つかり、

他への転移もなく、わりと初期に見つかったので

手術して切り取ればすぐに治るぐらいのことで、

楽観的に考えて2010年12月に手術を受けた。

 

父は、その1年半ほど前から白血球が急増したり、

起き上がれないほどの体調不良に見舞われていた。

もともと腰が悪かったようで、脊柱管狭窄症の

手術をする予定で検査をしていたら、ついでに

食道がんではないかと疑われて、内科での

精密検査を勧められたのがきっかけだった。

 

手術をわりと簡単に考えていたと思うけれども、

その後、病院からは一度も退院することなく、

2011年2月に亡くなった。

 

亡くなった原因は症状が悪化していたわけではなく、

病院の医師の手術に何かしらの問題があったと

思っているけれども、隠ぺいされたので

手術中に何があったのかはわからないままだ。

 

術後、1月に入り何か様子がおかしいと感じた私達家族は

担当医師に手術時に何があったか説明をして欲しい事、

手術後の状態など病状変化についての具体的な説明や

もう一度検査するなり、どうなっているのかを

教えて欲しいし、何故、何も話してもらえないのかと

再三、こちらからは医師本人、看護師、事務関係に

説明を求めていたものの、医師に逃げられていた。

 

結局、父が亡くなり病院から出る段階になり

事後報告で、ようやく言われた言葉が、、

「食道と胃をつなぐ部分をふさいでいた」

 

理解できなかった。

 

頭の中では、ウインナーのような状態を想像していた。

胃と食道の接続部分がくっつき食物が落ちていかない

状態であることがわかっていながら、何もせず

ずっと、放置されていたということのようだった。

 

手術の時、担当医の他に数名の若い医師がいたので、

実のところ、誰が手術の執刀したか気になっていたし

どの時点でそれがわかっていたのか、再手術などは

できなかったのかとも思ったし、、

 

春日井市民病院で父が手術したことを後悔した。

 

当時、春日井市死人病院と揶揄されていたのも

知り、「市民病院で手術すると生きて帰れない」

そういう噂があるのを、後になり聞かされた。

当時は、そのぐらい手術で亡くなる人が多かった

ということだと思っているけれども

父の担当医は、当時の外科副部長だった。

 

病院から出る直前に事務関係者から

「医師を訴えますか?」というような事を言われた

記憶があり、その言葉の意味がよく理解できずに

急いで病院を後にした。

 

妹が「裁判をしたところで父は生き返らないし、

精神的に疲れてしまって気力がない。

父も糖尿病など持病を病院に告げずに隠していて

父にも問題があったかもしれないし」と

結局、泣き寝入りした。

 

治る病気ではあると思うけれども、、、

 

父が手術をしたことで亡くなってしまったので、

食道がんを得意とする信頼できる医師に

手術してもらわないと、父のように

二の舞になることもあると思う。

 

患者に寄り添いコミュニケーションの取れる、また

信頼のおける医師に出会う事が病気を治すことにも

つながるかなと思う。


 

 

 

 

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