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1962年アメリカで『スターフィッシュ・プライム』

と呼ばれる核爆発実験が行われたというニュースで

語り継がれているそうだけども、私は知らなかった。

 

アメリカは、本気で地球と宇宙の間で核爆発させる

計画を立てて、それを実行していたことに驚いたし、

人類を滅亡させる気か!

広島・長崎の原爆では飽き足らず、核爆弾の威力を

試すために、地球を破壊しても良いぐらいの

考えを持つ狂った科学者がいたことに驚かされた。

 

この影響だったのかな?

1967年頃、私が6歳頃だったけれども、、

雨が降る日は、必ず傘を差さないと髪が抜けるとか、

雨水を飲むと病気になるなど、雨に濡れてはいけない

雨は危険と教えられた記憶がある。

 

スペースチャンネル

 

 

国際宇宙ステーションの同じ高さ400kmのところまで

核爆弾を持って行き、広島の原爆より500倍の威力の

核爆弾を宇宙空間で爆発させるという実験が行われた。

 

1963年米ソは核実験禁止条約に署名し

大気圏内および高高度での核実験を禁止した後の

1969年アポロ11号の月面着陸は感動的だった。

 

ところが、

アポロ計画以前、1958年アメリカは月で核爆発実験を

行うのが目的でA119というミッションを進めていたのを知ると恐ろしくなってくる。

 

結局、米軍が大気圏や月を核爆弾で破壊するよりは

NASAが有人ロケットで月面着陸したことで、

アメリカは世界から認められる技術開発の

勝者になった。

 

これでは終わらないのは、イーロン・マスク氏で

火星を核爆発させて火星の温度を上昇させて

人類が住める環境にしたいと意気込んでいた。

核爆弾を平和利用できるのか?に疑問を持っている。

 

 

  ヒマワリ         ヒマワリ       ヒマワリ

 


米ソ冷戦時代に、米国科学者たちは核実験を行い

地球の磁場を研究したところ、目に見えない障壁は

太陽放射から人類を守っていることが判明し、

理論上は、太陽嵐は地球上の生命に致命的な放射線を

引き起こす可能性があると結論づけた。

 

<1962年の空中での核爆発実験の準備として>

1958年8月には緊急作戦とよばれる計画で、

実際にカメラテストを行うことを決定した。

3.8mメガトンの熱核弾頭が、ハワイ西のジョンストン

ATLから発射された。

 

高度76kmでの爆破は、地上設置実験とよばれ

その塔は数百キロ先の夜空を照らし、その下でも

驚くべき空の輝きを見ることができたが、その

明るい光景は30分しか続かなかった。

しかし、爆発によって太平洋全体に影響を及ぼす
ラジオの停止を引き起こした。
それは6時間続き、ニュージーランドも影響を受けた。
実験では、磁場が荷電粒子のほとんどを捕らえることは
できなかった。

そのわずか1カ月後に、大西洋は第2ガス作戦と呼ばれる
1.7キロトンの核爆弾を搭載した3つのミサイルが
高度17okm,310km,794knで爆発した

これらの弾頭の威力は比較的小さいが、明確に
磁場内の荷電粒子の帯だが、これらの実験は
始まりにすぎなかった。

 

 ヒマワリ       ヒマワリ        ヒマワリ

1962年

アメリカはフィッシュボール作戦を開始した。

105回にも及ぶ核実験でドミニク作戦ともいう

 


最初のテストであるブルーホエールでミサイルは

制御不能となった軍は、未知の高度で弾頭を

爆破せざるを得なくなり核弾頭が太平洋に落下した。

しかし、この失敗は軍を止めることはなかった。

1962年7月9日夕方、スターフィッシュ・アペックス
と呼ばれる実験が行われた。
400キロの爆破で1.4メガトンの熱核爆弾が爆破し
伝統的なキノコ雲は形成させず
薄い上層大気中に暑いプラズマの球が生成された。

その夜、住民は奇妙な光以上のものを見た。
爆発による電磁パルスにより炉内の街灯300個が消え
家の警報システムが作動し、電話回線が破壊された。

空にはオーロラが現れ、観光客が何週間も

滞在するようになった

この実験の結果は、予想をはるかに上回り
軍の測定機器も電磁衝撃で損傷をした。
そして重要なことは、爆発後に形成された
電力放射線帯が地球の磁場に何か月も留まり、
ソ連の衛星を含む9つの衛星の故障を

引き起こしたことだった。

ソ連に対する米国の核攻撃であり、
太平洋地域全体が影響を受け続けた。
1963年米国とソ漣は核実験禁止条約に署名し

大気圏内および高高度での核実験を禁止した。

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1958年  月を原子爆弾で爆発させて観察する計画



さらに、
アメリカ軍とソ連軍は、さらに野心的な計画を練り
月で核爆弾を爆発させる計画を立てていた。

1967年4月、NASAの記者会見で
有名な科学者レナード・リーブスは
将来のアメリカの重要な場所を公表した。

1958年NASAが設立された時、宇宙飛行士が月に
着陸する計画が立てられた。若いカール・サンと
他の科学者が秘密裏に採用された。

そのミッションは、月の表面で熱核爆弾を爆発させた
場合の影響を評価することだった。


米ソ冷戦時代、

このクレイジーなアイディアは熱核兵器の発明者
エドワード・テイラーは、マンハッタン計画の
主要任務の1つであったが、テイラーは、この計画を
科学的研究であると主張しているが、
軍は、ソ連との宇宙開発競争における

プロパガンダとしての価値を重視していた。

1957年10月4日ソ連が人類初の人工衛星を

打ち上げた事はアメリカに衝撃を与えた。
アメリカにとってさらに不安なのは、
ソ連が2015年に月に核爆弾を打ち上げる計画をしている
という情報を米国の諜報機関が受けたことだ。
11月に十月革命の40周年を記念しアメリカを

完全に屈辱するが、米国Vコーナーは、

ソ連が遅かれ早かれ月に核爆弾を打ち上げると

信じており、焦っていたために
米国はすぐにA119プログラムを開始した。


破片は地球と月の間に障壁を形成し、地球からの将来の
宇宙ミッションに永久的な影響を与える可能性がある。
爆発は、かすかな星ほどの明るさのぼんやりとした
閃光としてしか見えないが、ソ連にアメリカの技術力を
示すには十分だった。

科学者たちは計算し、当時アポロ計画に使用された

サターンⅤロケットが、まだ準備できていなかった

ため、充分な威力の熱核爆弾を月に運ぶことは、

ほぼ不可能であると結論付けた。

それでも軍は計画にコミットしつづけており、

科学者たちは1.7コンの威力を持つ小型核爆弾の

使用を提案した。

アペックスは、月の橋の光と闇の交差点で爆発し、
塵の発声を減らす。これにより将来のミッションへの
脅威力が減少するが、この慎重な戦略でも
宇宙に逃げることができなかった放射性下降仏は、
依然として月の広大な地域を汚染し、

数百年にわたって続く可能性がある。

19年計画カップのキャンセルの最終的な理由は
月への汚染リスクだけでなく、重要なのは、
月の偶発的な爆発の恐れである。

ロケットの打ち上げ中に、これはアメリカにとって

恥ずべきことだった。
ソ連も同様の懸念から月爆破計画を放棄した。

 

 

 

 

 

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