牧野さんからもらったピアノコードブック

 

 

最近になり、音楽家・牧野信博さんが死去していたと

報じられて、記事最後に合歓デビューと見た瞬間に

えっ?もしかして会ったことあったかな?

 

会ったことあったかな?どころか、、

ある時期、交流があって本まで戴いていた。

ベーシスト寺坂さんとの話のすり合わせによって

えっ?あの子が牧野さんだったの?と、

今、気づかされて、急に悲しみがわいてきた。

 

「牧野さん」という苗字を忘れてしまっていた。

 

私について、牧野さんと寺坂さんとの間で

話題に出たことがあったそうで、牧野さんが

私の事を覚えて下さっていたのも知った。

 

1980年代の数年間、合歓のキーボード君と

電話などで交流が続いていた時期があった。

 

そのキーボード君というのが、どうも

今思えば、牧野信博さんだったのだ。

 

初対面の時に、大喧嘩した相手が牧野さんであり、

「おまえ、女のくせに見たことない面白いいヤツだな」それ以来、合歓の無名時代に気にかけてくれていた。

 

当時バンド仲間ベーシスト寺坂さんは、一足早く

東京で小野満とスイングビーバーズに入団し

NHK紅白歌合戦でデビューを果たすと

たのきんトリオの解散後、ダブルスに加入など

寺坂さんの近況など、たまに電話で伝えてくれて

いたのが、今にして思えばそれも牧野さんだった。

 

寺坂さんの活躍について、「凄いんだぞ」と

誇らしげに話してくれていた。

 

ちょうど、1982年頃合歓に遊びに出かけた時に、

「明日、引っ越すのでもう会えなくなるから

 俺が使っていた本だけど、これは役に立つから、

 このピアノコードの本を大事にもっとけ」

みたいに言われて、今も大切にしている本だけど、、

この本をくれたのが牧野信博さんだった?!

 

なぜ、こんなに曖昧かというと、、、

 

私が知るキーボード君は、

「結婚することにしたから音楽やめて帰郷して、

 トラックの運ちゃんになることにした」

と言い残して、その本を手渡されたので、

トラックの運ちゃんになったと思い込んでいて、

活躍する音楽家になっていると思っていなかった。

 

すっかり騙されていたらしい。

 

最近、牧野さん訃報が報じられなければ、

ウィキペディアに名前が載るほどの音楽家に

なっているとは想像していなかったので、

その人から、この本で勉強しろと言われたのは

すごい説得力のある言葉だと、今さら気づいた。

 

牧野さんが使っていたピアノコードの本

これからも大切に使おうと思う。

ずっと忘れないで、いつでも思い出せる場所に

本を置いておくからね。

 

 

 

 

 

 

最近気づいたこと

 

 

 

 

 

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