生徒さんがいなくなれば、ピアノ教室としては役目を終えるのかなと思いながら、細々と続けているけれども、常に、潮時かなと思いながら仕事をしている。
「ピアノを習いたい」とピアノ教室に来て下さった時、お母さん方は消極的で、お子さん自身がどうしても
習いたいと懇願して始めることが多い。
習い始める時に、生徒さんが自分から習いたいと言ったことの誓約書を書かせるべきだっと反省する。
なぜなら、
数年もすると、渋々通ってくるようになるから。
「ピアノ、もう面倒くさ~い、行きたくない」
まるでお母さんや私が、生徒さんに無理強いして
ピアノを弾かせているみたいな話になるのだけども、
習いたいと言ったのは、生徒さん自身なのだ。
「自分から習いたいと言い始めたから、
今、こうしてレッスンを受けているんだよね?」
問いただすと、当のご本人は、
「違う!」
と、強く横に首を振って否定し泣きじゃくる。
え~~!!違うってどういうこと?!!
いつから話がすり替わったの?
毎度、お母さんから「今日も渋々来ました」と
言われるので、誰のためのレッスンなのかなぁ?
と、考えることが多い。
「先生の何がイヤでレッスンをやめたいの?」
「話しかけられること」と返ってくるので、
やっぱり世代間の問題ではないかなと思う。
喋るのがイヤと嫌われているので、、
生徒さんには何も喋らせずにレッスンしていて、
それが不思議なことにうまくいっている。
ピアノの鍵盤で答えてもらったり、
ジャンケンのグーやパーを使って、
YES/NOなど、こちらの質問に応じてもらい
無理には喋らせないで、レッスンをする。
レッスン中、お子さんは一言も言葉を発せず、
40分間、私が喋りまくってレッスンをしている。
私は63歳なので、今や校長先生のほうが若い。
子供からすれば校長先生ぐらいの年齢の人は、
緊張するほどの相手と思うので、それよりも
年上の私から、あれこれ話かけると戸惑いしかなく、
こちらが何を話しても、言葉が出てこずに泣き続ける。
今どきは核家族で、子供達は年寄りに慣れていない。
半世紀以上の歳の差って簡単には埋められない。
子供にとっては、居心地悪いお婆さんから
話しかけられて怖いという感覚があるかもしれない。
若い先生のほうが、子供にとっては近い存在で
居心地が良いのかなと思うことが多い。
幼少のお子さん相手は、こちらは問題なくても、
お子さん側が受け入れてくれなくなっているので、
どうしようかなと、ずっと考えている。
ピアノに触りたくない生徒さんにとっては、
ピアノ教室って時間のムダでしかないと思うので
お互いに忍耐力だけで維持しているのかなぁ、、
イヤイヤでも続けてくれているうちに
何かの拍子に気持ちが変わって
楽しくなってくれたら良いなと願いを込めて
細々と、レッスンを続けている。
今、弾きたくない子に教えていると、
自分がピアノを弾いている方が気楽だなと思う。
今の自分の年齢でも技術を活かしてできること、
ピアノ教室から何かシフトができないかなぁと
様々なポップス作品を演奏研究しているところで、
自分にできることは何だろう?と模索している。
需要と供給のバランスが良いところで、
何かやれたらいいな、、と思う。
何しろ、こちらが教えたくても、子供さんが
バリアから出てこないので、厚い壁に向かって
一人相撲しているような気分になることは多い。
60歳を過ぎると、まあ、無理してまですることは
ないかな~と、ちょっと考え始める。。