1945年三河地震に被災の証言

1945年1月13日深夜に発生した三河地震の体験談 深溝断層跡

1944年、1945年東南海・三河地震の証言

 

えいしゅう博士さん解説動画

 

 

震源地 三河湾

 

 

6/20(木)22時23分頃愛知県で発生した地震

震源地は三河湾

震源の深さは40km
M4.5 最大震度3

下から突き上げるようなドンとした地震だった。

 

<地震のメカニズム>

フィリピン海プレート内で起きたスラブ内地震

右横ずれ断層型の地震

 

   ヒマワリ     ヒマワリ     ヒマワリ

 

 

 

三河湾では1945年1月13日に

M6.5 震度7の地震が発生し

犠牲者2306人を出したことがある。

 

この地震は戦時中の地震で、

名古屋方面から疎開してきた多くの児童が

犠牲になったという話を聞いたことがあるけれど、

わりと最近になってから知った事だった。

 

不思議なのは、昔から愛知県内に住む80代以上の

方々は、この大地震を体験している筈なのに

大半の方々がこの地震に気づいていないので、

なんでかな?と思ったことがある。

 

調べてみたら、、

報道統制があり、何も報じることができなかった

ことを知ったけど、それにしても、

名古屋市守山区、春日井市は東春日井群という地名で

震度5強程度の地震が起きていたはずなのに、

報道されなければ、家が損壊するほど揺れたことに

誰も気づかないなんてことがあるんだろうか?

 

うちの両親や祖父母から、戦時中に大地震で

家が壊れるほどの恐怖を味わったなどという話を

一度もしたことがなかったので、

三河地震に気づいた様子はまったくなかった。

 

ただ、、

空襲と思って防空壕に逃げこんだという話を

何度も聞かされたので、もしかして、、

大地震が発生したときも、爆撃と勘違いして

防空壕に逃げたのかな?と想像したけれども、

生き埋めにならなくて幸いだった。

 

大地震を報道統制で何も報じずに、政府も軍も警察も

救援活動も何もせず、国民を見殺しにしたというのが、酷い話だなと思った。