最近、よく話題になっている『老害』って、
考えてみれば、昔から老害ジジイや老害ババアはいた。
余計なヒトコトで、相手に不快な思いをさせているのを
全く気づかず、デリカシーの欠片もなく上から目線で
ズケズケと人を馬鹿にした態度で虚勢を張って威張る。
いい加減にしてくれと思う、、
けど、面と向かって
「それ、老害です、やめてください!」
とは言えない。。
デイリー新潮
森喜朗さんのような人は
「功成り名遂げて身退くは天の道なり」
元総理の功績を汚さないためにも、
さっさと隠居して口を開かないほうがいい。
私自身は、幼少時代からずっと大人になっても、
目上の人には逆らってはいけないと教えられてきて、
どんな理不尽なことでも、目をつぶって我慢してきた。
今、そういう時代ではなくなっている。
それなのに、未だに勘違いしている人っているよな~と
思うことがあるのが、年賀状が届いた時に感じる。
大昔に退職した職場の上司からの年賀状で、
未だに、自分の自慢話の近況が綴られていたりすると、
私は、いつまでこの人の部下と思われていなくちゃ
いけないんだろうか?
何十年も前に仕事を辞めているので、すでに
上司と部下の関係ではないはずなんだけどな、、
いつになったら断ち切れるのかな?と思う。
年賀状をやめたらいいじゃん、、とはいかないのは、
こちらがやめても、あちらさんから必ず届く。
部下から、上司に対して、
「もう、あなたの部下ではありません」
と言葉で伝える勇気はない。
上司が察して年賀状を送りつけてきたり
定期演奏会のご案内を送りつけてきたりするのを
やめてくれたらありがたいんだけど、、
届くたびに、ため息が出てくる。
またきたか、、、
挨拶で頭下げるのもイヤだから
上司が出るような定演には行きたくない。
相手は悪気なく宣伝で送ってくるのだろうけど
受け取る側は、もう上司と部下の関係ではないので、
送りつけてこないで欲しいと思っている。
それすら圧力になることに気づいてもらえない。
いつまで、この人の部下として気を使わなくちゃ
いけないんだろう?、、という感情になる。
常々、私自身がそういう気持ちを味わっているので
私も、若い人にピアノを教える仕事をしているけど
些細な言葉も、受け取る側にとっては
「~せねばならない」と思わせてしまうことが
あるかもしれないし、それが老害になる可能性がある
と思うと、態度や言葉には気をつけているし、
こちらからは不要な連絡をすることは控えている。
あまり相手に負担をかけるような態度を
取らないよう、自分に対して注意を払う。
また、若い人が気を使わずに何でも言えるような
ムードを用意して、受け入れ態勢を作っておく
ことが大切だ。
敬語を使って話をするかどうかよりも、
相手の目線に立つことが大事で、
自分の言葉がどう受け取られる可能性があるかを
想像して、常に言葉や態度のチェックが必要だと思う。
年上の人の言葉は、、、
気づかないうちに、若い人に圧をかけている。
「でしゃばらないこと」が大切で、
一歩引いて、若い人の道筋に邪魔をしない!
すごく大事なことだと思う。
そして、自分の立場や権威に執着しない。