名古屋の俳優・天野鎮雄さんが87歳で亡くなられた。
東海テレビ
85歳でザ・テンペスト舞台
1985年天野鎮雄さんと山田昌さんが中心となって
劇塾劇座を創設した年の一期生として
役者志望ではなかったんだけど、、
私は山田昌さんに「朗読」を学びたくて入塾した。
1985年創設当時、劇塾劇座事務所は伏見御園座近くの
名古屋舞台芸術協会事務所の中に間借りしていた。
稽古場もそこに備わっていた。
現在は劇塾は移転し、そこには俳優館が入っている。
そういえば、時々事務所で電話番を頼まれて
電話番のアルバイトをしていた。
朝日新聞社系の音楽・舞踊公演チケット発売があると
座席表を見て案内しながらチケットを売っていた。
その事務所に、アマチンさんや昌さんの姿が
あったりしたけれども、、アマチンさんとは
あまり接点がなかったため、お喋りした記憶がない。
事務所でもいつも大声で楽しそうに話しておられて
ラジオ番組でも明るくお喋りする方だったけど
裏表がなくて優しくて大らかな方だった記憶がある。
何か芝居の稽古を見たことがあったかな、、
その頃ラジオ番組がお忙しかった時代で、
台詞を読み込む時間がなかったのだろうと思う。
アマチンさんの傍で黒子さんが控えていて
セリフを教えると、アマチンさんはそれを聞き取り
大きな声でセリフを語り芝居をするのだけども、
黒子さんとの連携プレーが絶妙だなと感心してしまい
ぜんぜん黒子さんの存在がわからなかった。
さすがに役者さんて凄いと思ったことがある。
85歳の新型コロナ拡大で芝居が延期になった時の
動画を見たら、アマチンさんの声が細くなったな~と
昔の野太い声ではなくなっていた。声はかすれていた
けれど、もしかしたら若い頃よりも芝居に対する情熱は
高齢になってからのほうが熱量も高く成熟していて、
命がけで舞台に挑んでおられるように見えた。
昌さんが姉さん女房のおしどり夫婦で、1985年、
ちょうど、私が昌さんに朗読を学んでいた時期に
昌さんが心臓を悪くしてカテーテル手術なさったと
話しておられて、いつまで女優を続けられるかと
不安を口にしていたことがあった。
その当時はアマチンさんはお元気で、
昌さんが自信を失くしておられた時も、
ずっと寄り添って見守る姿があった。
俳優同士でもあり、共に戦う戦友のような
心底仲良しのご夫婦だったので、
昌さん、ガックリしておられないだろうか
90歳を越えられたそうでお身体のことが気がかりだ。
生涯、芝居への情熱を失わず演じられた姿は
本当に立派で、一瞬の出会いではあったけれども
何か一つのことを長くコツコツと続ける姿勢を
学ばせて頂いたと思う。
アマチンさん安らかに。