昨日、8月24日が滝廉太郎144年目の誕生日で
1日遅れた💦
1879(M12)8.24-1903(M36)6.29没
日本の作曲家、ピアニスト。音楽家
1894年東京音楽学校に入学
1901年ベルリンに音楽留学し
ライプツィヒ音楽院に入学するが
5カ月後に肺結核を発病して
病状が思わしくなく
1902年7月に帰国すると父親と暮らし、
大分県で療養生活を送る。
1903年6月29日23歳没
『別れの歌』という短い曲がある。これは、
1902年病気が判明してライプツィヒ音楽院から
日本に戻ることになり、7月10日ドイツを発ち
横浜に着いたのが10月17日だったが、その
2週間後の10月30日に作曲された作品だそうで、
洋楽的な教会の祈りの曲のようにも聞こえる。
ト短調の和声音階では、一般論だけれども
上行ではシミに♭が入り、下行でファ#が入る。
ところが、この作品は下行でド#を使っているので、
一時的に、嬰へ短調に移行したということかな?と
考えながら聴いていた。
多分、そこに特別な思いを残したのかな、、
強いこだわりを感じた。
物事の不完全さというか、名残り惜しさのような想い
ライプツィヒ音楽院で学びたかったのにできなくなった
ことに対する未練のようなものを感じたし、
滝廉太郎の感情が、その半音に出ている気がした。
別れの歌
花
お正月
メヌエット
憾(うらみ)
荒城の月
別れの歌
なごりをおしむ ことの葉も
いまはのべえで たゞつらし
あすはうつゝ けふはゆめ
けふはゆめ
のこるおもひを いかにせむ
あゝ いかにせむ
1900年作曲 花
1901年 お正月
1900年ピアノ曲 メヌエット
1903年2月に作曲されたピアノ曲
憾(うらみ)<未練、心残り、無念といった意味がある>
1900年荒城の月