玉音放送原盤

 

 

毎日新聞

 

78年目の終戦記念日。

 

私の母は終戦の日は7歳だった。

祖母の実家の疎開先で、皆でラジオの前で起立して

玉音放送を聴いていて、天皇の話がさっぱりわからず

すすり泣く大人たちの姿に、いつもと違うと気づいて

戦争が終わったことだけは理解し、悲しいどころか

戦争が終わったと心の中で喜んだと言っていた。

 

ただ、疎開先は農家だったので食べ物に困らず

毎日、大家族で暮らす楽しい日々だったので、

蔵の中で好きなだけ本を読み、同世代の子供と

遊べる時間は楽しい思い出しかなかったらしい。

終戦後の食糧難のほうがよほど苦しかったそうで、

幼かった母にとって戦争の恐ろしさよりも

戦争直後のひもじさのほうが辛かったと話していた。

 

祖父の元に召集令状が届くとラバウルだったか?

どこの部隊に所属して戦地に向かったのか

詳しく聞いたことがなかったけれども、

元々は口数が少なくて穏やかだった人が

酒乱で暴れるようになり性格が変わったらしかった。

けど、孫の私にとっては優しい祖父のままだった。


 

その淡い戦争体験をもつ母から生まれた私は

戦争を知らない世代だけれども、、

 

私が小学1年生の時、担任の先生は40代で

校長先生は50代だった。中学時代もそうで

母より15歳以上も年上の方々が教師だった。

 

戦争体験のある大人が教師をしていたので、

社会科授業の日本史で第二次世界大戦に触れる頃は

教師が感情的になって「終戦ではなく敗戦記念日だ」

と教えられ、教科書に載っていること以上のことを

私たちに伝えようとしていたと思う。

 

終戦の1945年(S20)に生まれた人達が78歳になるので

日本人の大半が戦争を知らない戦後世代になる。

まわりまわって、再び戦前に戻ったということに

なるのかなと思った。

 

 

 

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