1810年6月8日 - 1856年7月29日
1810年6月8日生まれ。ドイツ出身
3歳~5歳頃まで代理母に育てられた後、
7歳頃から父親に連れられてウェーバー指揮による
ベートーヴェンの交響曲を聴いて感銘を受けるなど
音楽の素養が身につき、9歳頃からモーツァルト作品を
ピアノ用に編曲するなどした。
10歳になると中高一貫のような学校に進学して文学や
音楽などを本格的に学んだ。
1833年世界的なパンデミックが引き起こされて、
弟や義妹を失くし、重度のうつ病を発症したが
翌年1834年春に音楽雑誌を出版するまでに回復したが、
この時期、リュードヴィヒ・シュンケやノルベルト・ブルグミュラー(=フレードリヒ・ブルグミュラーの弟)と親友ができたが、二人とも病気や事故により若くして
亡くなった。
また、1835年クララの父にピアノを学ぶシューマンは
ヴィーク家でメンデルスゾーンと出会った。
1843年メンデルスゾーンはライプツィヒに音楽学校を
創設すると、シューマンは説得を受け教授に招聘された。
1828年18歳頃からクララ・シューマンの父ヴィークに
ピアノを学び始めたのがきっかけで、後に
妻となるクララとの出逢い恋愛に発展した。
二人の結婚が具体的になると、クララの父ヴィークが
シューマンに執拗な嫌がらせを繰り返したため、
シューマンは弁護士を立てて裁判沙汰に持ち込んだ。
1840年9月12日シューマンとクララは結婚した。
1844年頃から、シューマンの精神的な病気が
進行し始めて亡くなるまで、それは続き悪化した。
1854年2月症状が悪化し、ライン川に身を投げて
入水自殺を図り、その後クララに危害を加えるのを
恐れて、自らフランツ・リヒャルツ博士の療養所に
入った。1856年7月29日に46歳で亡くなるまで
その療養所で過ごした。
幻想小曲集Op.12-2飛翔
Arabeske Op.18
トロイメライ
Liszt: Schumann's Frühlingsnacht, S. 568
Piano Quintet in E flat major, Op. 44
Märchenbilder Op.113
Trio nº 3 Op. 110 (1851)
Introduction And Concert in D minor , Op. 134Final
交響曲第3番
幻想小曲集Op.12-2Aufschwung飛翔
Arabeske Op.18
トロイメライ
Liszt: Schumann's Frühlingsnacht, S. 568 (Nikolayeva)
Piano Quintet in E flat major, Op. 44
00:00 - I. Allegro brillante
09:07 - II. In Modo d'una Marcia. Un poco largamente
18:13 - III. Scherzo. Molto vivace - Trio 1 & 2
22:39 - IV. Allegro, ma non troppo
Märchenbilder Op.113
Trio nº 3 Op. 110 (1851)
I. Bewegt, doch nicht zu rasch (00:00)
II. Ziemlich langsam / Etwas bewegter / Erstes Tempo (7:13)
III. Rasch / Etwas Zuruckhaltend bis zum langsameren Tempo / Erstes Tempo (13:21)
IV. Kräftig, mit Humor (17:03)
Introduction And Concert in D minor , Op. 134
Final 山田耕筰の赤とんぼのフレーズが繰り返される
交響曲第3番