ブラームス 2つのラプソディ2番

 

ショパン マズルカop.64-4

 

 

 

 

2月下旬に読売オンライン記事に出ていて

面白い内容と思いながら読んだ。

 

国際コンクールで入賞した若い人の演奏について、

「精進と商売を取り違えている」と糾弾した。

派手にパフォーマンスして名前を売ることを

優先するピアニストもたしかに多い。

 

YOUTUBEで演奏動画を見ていても、

肌の露出が多すぎて、殆ど裸に近いドレスで、

パフォーマンスする女性ピアニストを見て、

音楽を聴いて欲しいのか、自分を見て欲しいのか

どっち?と思ったことがある。

 

バリバリと派手な演奏パフォーマンスが勝っていて

聴き終わった後に記憶に残ったのは、

ピアニストの派手なドレスだけだった、、、

ということがある。

 

記事でヴァレリー・アファネシエフ氏が語った中に

「クラシック演奏家は古典を解釈します」

という部分があって、私はこの言葉が好きで、

古典作品については、作曲家がどういう展開で

その作品を描きたかったのかを譜から読み取って、

解釈したことを演奏表現することが重要になる。

 

ピアニストはただ譜を解釈するだけでなくて

解釈した作品を、更に、消化して卓越した演奏技術で

多くの人の心を魅了して満たさなければならないので、

忠実に演奏するだけでは足りないとも思う。

 

ヴァレリー・アファネシエフ氏の演奏を聴いてみたら

また独特の個性的な演奏だったので、精進して

研究した結果、辿り着いた演奏なのだなと感じた。

 

    音符   音符   音符  音符

 

今、本当に、自称ピアニストと肩書を持つ人が

溢れかえっている時代で、演奏できていなくても

言ったもの勝ちみたいなところもある。

 

特別な才能を持つ優れた演奏家というのではなく

今どきはニックネームのようなものかもしれない。

今のピアノの世界は芸術からは少し離れていて、

華やかさとか、親しみやすさ、、だろうか。

 

それはもしかしたら、

ただピアニストの質の問題だけではなく、

ピアノ本体の進化もあるのではないかと思う。

100年以上前の音楽家の作品を演奏するには、

今のピアノは洗練されて派手すぎるので、

忠実に再現することを求めるのは難しい。

 

音楽コンクールも審査の分かれるところで

審査員にも、新しいセンスの弾き方を好む人と

古典的な弾き方を好む人のタイプがあって、

審査の票が真っ二つに分かれることがある。

時の運で、審査員に古典派が多いかモダン派が

多いかで入賞の流れが変わることがあるのを、

ピアノコンクール講評内で審査員田村宏氏自身が

語るのを聞いたことがある。

 

コンクールで入賞できなかったから

技術力がなかったということではなくて、

審査員の傾向も左右することがあるほど、

ピアノの演奏を評価するのは難しいので、

そういったことも含めて、

時代とともに音楽の質の変化もあって、

それは当前のことかなと思った。

 

 

 

心に残っている名言集

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する