現代ビジネス
高校2年の時に、太宰治『斜陽』の感想を書いて
読書感想文コンクールで銀賞だったか、、
何か受賞したことがあった。
その頃、太宰治作品で有名な『グッドバイ』
『人間失格』『津軽』などを読んだことがあったし、
中学の教科書に『走れメロス』が載っていて
国語の授業で「友情について」という題材だったか
感想文の宿題が出たと思う。
太宰治の小説に出てくる主人公は、すでに
精神が病んで壊れていて、こんな弱い自分が
この先生きていく価値があるんだろうか?と、
まったく生きる気力がなく、駄目であることが
描かれていたと思うけれども、そこが魅力だった。
偉業を成し遂げたことを世間に公表したり
カッコイイところを見せて人気取りしたり、
人に自慢できるところを抽出して、その姿を
大きく見せることで有名になる人が多いのに、
太宰治は、その真逆の魅力を持つ人だった。
自分の甘さ、弱さ、身勝手さ、生きる気力のなさ、
哀れな姿をさらして小説を書いて食べているので
盗作しても、ズルいことをしてもバカ正直すぎて、
それすら憎めない。人として落ちぶれすぎていて
そこがまた愛されていたのだろうと思う。
だから熱海事件のようなことがあったところで
太宰治ならそうだろう、、と納得できてしまうし、
人としてしてはいけないことを全部やってしまう
ダメ人間だからこそ、それを放っておけずに
手を差し伸べたくなる聖母マリア様のような
母性愛の強い女性達が次々と現れた。
現代ビジネスの文中には、昭和初期の日本は
女性の地位が低かったことが書かれてあったけれど
男尊女卑だけが原因でもない気がしている。
今の日本社会でどれほど女性の地位が向上しても
やっぱり女性は大昔から本能的に母性を持っていて、
クズ男に魅力を感じてしまうと放っておけずに、
手を差し伸べたくなる女性は大勢いる。
言い換えれば、日本女性はできそこないの男性を
好きになり支えてしまい持ち上げるから、
支配されて女性の社会的地位も上がりにくい、
というのは私の持論。
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高校時代に太宰治小説に傾倒するあまりに、
生きることに嫌気がさしてくることがあって、
それを正直に作文に書いたところ、
職員室に呼び出されて、
「あなたにとって読書は毒にしかならないようだし、
精神を病むような読み方しかできないならやめなさい」
と忠告されたことに納得できなかったので、
しばらくは、逆らうように読んでいたけれども、
24歳頃に、私にとって読書は中毒性があると
自覚した瞬間があったので、覚醒したときから
読書から学ぶ必要ないと、あっさり卒業した。
今、中高生がスマホから抜けられなくなるような
状態に似て、私は純文学から抜けられないようなで
読み漁って、作家の主旨を感じ取ることができると
満足するような時期があったと思う。
この記事を読んでいて、45年も昔のことだけど、
太宰治の小説に心が動かされて傾倒していた時が
あったのを思い出した。


