2022年11月29日私ブログ
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』
新潮社
このタイトルを見て新潮の連載を読みたいと思った。記事も淡々と闘病について書かれてあり、坂本龍一さんらしさが現れていて、どう時間を上手く使おうかという気持ちが伝わってきて興味が湧いた。
この記事を読むまでは坂本龍一さんのご病気は回復していると思っていたので、ここまで進行しているとは想像していなかった。
坂本龍一作品で私が大好きなのは「TIBETAN DANCE」で、この曲だけは今もEPOの唄入りをよく聴いている。
坂本龍一さんというと、昔はYMO、テクノデリック、ミニマルミュージックの先駆者というイメージで、デジタルサウンドに欠かせないアーティストと思っていた。
最近では、研究していることについて動画で演奏したり解説したりする様子を拝見していたけれども、ブラームス、バッハ、演奏家グールドのこと、、その世界を奥深く追究なさる姿勢が凄いなと思っていた。
坂本龍一 Tibetan Dance インストルメンタル
EPO Tibetan Dance 歌詞付き
2016年に知人のベーシスト寺坂英人さんが森岡みまさんのCD「Covenant Of Love」をプロデュースした関係で、facebookを通じて森岡さんと交流があり、「いつかお会いできたらいいですね」とやり取りするようになり、私がfacebookの使い方がわからないものだから、連絡を途切れさせてしまっていて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
その森岡みまさんは、「YMOジュニア」と呼ばれるコズミックインベンションという小中学生バンドのドラマー&ボーカリストとして、坂本龍一さんのYMOの前座バンドで活躍していた時期があった。
森岡みまさん(YMOジュニア)
[KazyFirstman] 森岡一夫氏 HP
電子楽器開発、ファーストマン社創業など
https://star.ap.teacup.com/firstman/
森岡みまさんのお父様は森岡一夫さんといい、1960年代に河合楽器入社に始まり、エレキギター、シンセサイザーなどの商品開発や販売に携わってきた背景がありYMOとの出会いや結びつきがあったのではないかと思う。
森岡一夫氏は、日本の電子楽器の歴史そのもので、グループサウンズに始まり、YMOなど日本の電子楽器開発第一人者として欠かせない方なので、その功績をここに簡略ではあるけれども1977年までを記載して紹介しておきたいと思う。
森岡一夫氏経歴・功績
1960年河合楽器に入社。電子オルガン開発
1963年テスコの常務取締役就任エレキギターを商品化
1967年Firstman社創業
セミ・モズレー氏から直接モズライトギター開発ポリシーと生産技術を受け継ぎ生産
ファーストマン・リバプールギター、バロックベースがブルーシャトーのミリオンセールスをきっかけにGSブームによりエレキ市場を確立させた
1970年エレキギターからキーボードへと転業。
ブランドをヒルウッドに変更
1973年ヒルウッドがシンセサイザー開発に成功。
量産販売開始
1977年ヒルウッドシンセサイザーブランドを、ファーストマンに変更。
平均年齢11歳の子供ら5人を集めてシンセサイザーバンドグループのコスミックインベンションと命名しデビューさせた。このメンバーの1人に現在作曲家として活躍する井上ヨシマサ氏がいた。