チャイコフスキー 子どものアルバムから カマリンスカヤ

 

兵隊の行進曲

 

小牧市の交響楽団が3月26日の定期演奏会でチャイコフスキーの

「1812年」を演奏する予定だったのを、急遽、曲の変更したそうで、

日本でここまで影響を受けるのは珍しいことではないのかなと思った。

 

チャイコフスキー作品のくるみ割り人形などは演奏する予定があるようで

「1812年」だけの変更になったそうで、全面的な変更でなくて良かった。

 

クラシック音楽作品に戦いや祈りがテーマになるものは多いけれども、

日本人にとってはあまりピンとこないところがあった。

今回、身近に音楽と戦争が結びついたのは学びでもあるのかなと思う。

 

 

チャイコフスキーはウクライナの血が流れている。祖父はウクライナ人。

ウクライナのコサックダンスやポーランド風のマズルカなど西洋音楽から

受けた様々な影響を作風に採り入れていた。

 

ロシアは西洋音楽の歴史の浅い国で、ロシアの作曲家というと

最も古い著名な作曲家が、1840年代生まれのチャイコフスキーで、

それ以前の、たとえば18世紀頃の作曲家が思い浮かんでこない。

 

よく私達がロシア民謡と思って聴いているのは、実はウクライナの

コサックダンスから派生したものだったりすることがあるので、

ロシアにも有名なロシア民族音楽があるのかもしれないけれども

チャイコフスキー以前のクラシック音楽は、私自身は思い浮かばない。

 

アントン・ルビンシテインというユダヤ人が、1830年代にフランスや

ドイツに音楽を学びに行き、ロシアに帰国してから演奏活動後に、

サンクトペテルブルグ音楽学院(レニングラード音楽院)を創設して

チャイコフスキーもその音楽学校の学生だった。

 

そういうことから考えるとロシアのクラシック音楽の原点は

ドイツやフランスの流れを汲んでいる。

 

チャイコフスキーはその音楽学校を卒業すると、アントンの

弟ニコライの創設した現モスクワ音楽院で教鞭を執るようになった。

チャイコフスキーは作曲を教えた生徒と結婚したけれども、

結婚相手とはうまくいかず、僅かの期間で離婚して

精神が崩壊し自殺未遂をした。

 

その後、ヨーロッパ諸国を旅して、様々な国の音楽を描写し

完成したのが、「子供のアルバム」という作品だった。

それらの作品が、やがてくるみ割り人形や白鳥の湖などの

大曲の元のスケッチとなる。

この頃に「戦争と平和」で知られるトルストイとの出会いがあった。

 

作曲家は、依頼を受ければ様々な作品を創作して献呈するので、

表面的にはロシアへの忠誠心、愛国心を表していたにしても、

チャイコフスキーの音楽の根底にはウクライナのリズムがあるので

チャイコフスキーはウクライナに郷愁を感じていたのではないかと思う。

 

チャイコフスキー作品に、また少し触れたいと思っていたのが

例えば、動画サイトに演奏作品を並べるのも、今は自粛したほうが

良いのかなと、変な気配りをしなくてはいけなくなる。


プーチン大統領の判断によって行われる全てのことが、

古い時代までさかのぼり、「ロシア」全体のイメージが悪くなり

ロシアの作曲家作品を演奏することも「悪」のようになってしまうと、

一般の私達まで、表現が制限されてしまったような気分になる。

今は、そういう時代なんだろうか。。。難しさを感じた。

 

報道を見ていた時、日本在住のロシアの人が辛いと泣いていた。

あまり「ロシア」という響きに過剰に反応するのは良くない。