今、ウクライナで投降した若いロシア兵達から
「訓練と思い込んで行ったらそうではなかった。
プーチン大統領に騙された。本当に知らなかった」
という話がネットニュースや報道などでも出てきていた。
自分で兵隊志願しておいて、そんなことあるの?
スタニスラフ・ブーニンという日本人女性と結婚して
ロシアからドイツに亡命したピアニストがいる。
ブーニンは、ソビエト連邦時代にモスクワで生まれ育ち
モスクワ音楽院に進学して学んで、1985年に
第11回ショパン国際ピアノコンクールで1位入賞を果たした。
ブーニンはドイツに亡命してから『カーテンコールのあとで』を執筆し
ソビエト連邦時代のゴルバチョフ政権下での音楽芸術、音楽教育が
どれほどのものだったかを告白していた。
モスクワ音楽院は11年生まであり、
7年生までは一般教養科目と音楽と音楽学校らしい教科が並ぶ。
ところが、8年生から新たに加わる特別専門科目というのがあり、
それが「軍事教練」で男女共に学んだと書いてあった。
モスクワ音楽院でピアニストになるために学んできた。
ブーニン自身が学んできた授業科目について詳しく書かれて
あったのを紹介したい。
①音楽史
西側では「音楽学」と呼ばれるもの
週4回。さまざまな分野のクラシック音楽を綿密に掘り下げる。
中世から始まり、ウィーン古典派、ロマン主義、後期ロマン派、
印象派と順を追い、現代の中小主義的な動向に至るまで、、
作曲家やその時代背景を徹底研究する授業。
②和声学
これも音楽家にとって必要不可欠な学問だ。
週4回。音の組み立て方を練習したり曲の構造の法則を学んだ。
③外国語
英語、ドイツ語、フランス語の中から選択。
ブーニンはドイツ語を選んだことが書いてあった。
④ピアノ芸術史
藝術博士の先生と一緒にブゾーニから現役まで
今世紀の代表的ピアニストの演奏テープを聴く。
ここからは日本の大学とは随分と異なる。
⑤共産党史
週に6時間。 お経のような棒読み授業で、
今世紀初め共産革命家の偉業を、うんざりするほと繰り返し
聞かされる。そういう偉い人達がテロ的行動に出たり、爆弾を
しかけたり、肯定暗殺を企てたからこそ、ソビエト国民の今日の
輝かしい繁栄があるという。共産党史の授業では、高い水準の
知識が特に厳しく要求された。半年に1回は試験。
パスできないと音楽院から追い出すと脅される。
試験では、今世紀始めから現代までの党の指導者の名前を
片っ端からあげさせられる。党大会や党会議について語らされ、
だれがいつ何を言った、どんな決議がされたなどを覚える。
逐一、ゴルバチョフの発言も知っておく必要があった。
共産党史は留学生も受けていた。
授業に欠席すると「要注意学生リスト」に入り監視される。
⑥軍事訓練
外国人学生は履修できない。講義へも立ち入り禁止。
資本主義敵国の核攻撃の不意打ちから逃れる方法、
敵が保有する戦車、戦闘機、ミサイルに関する知識、
敵の歩兵攻撃を受けた時の塹壕(ざんごう・防護穴)の
掘り方、行進のしかた、武器の使い方など週2回学ぶ。
2年間の兵役準備であり、女子も必須講義。
5キロはあるカラシニコフを使った射撃練習。
⑦体育
2時間ずつ週1回。
⑧哲学
共産党史と同じ講師による授業。
弁証法的唯物論と史的唯物論が主なテーマ。
週5時間。
マルクスやエンゲルス、レーニンの引用句を暗記し、
観念論者の間違いの説明を受け、試験では
世界の中心である共産哲学に反する全てのものの
悪口をいわねばならない。
授業では、宗教哲学に関する説明はヒトコトもない。
(何年生というのが、あちこちに出ていたので、
正確ではないかもしれない)
ブーニンの「カーテンコールのあとで」引用しました。
他に、現代共産哲学と反共産哲学の授業、政治科目があり
こういった科目を長く受け続けることにより、集団催眠にでも
かかっているように思考力が鈍っていくのを感じたと記されてある。
学生達に、そうやって共産党の哲学を唱え続けて
マインドコントロールしているんだろうと思ったけれども、
これは1990年以前のソ連時代の教育についての話である。
今日までの30年に渡り、プーチン政権になってからは
未だに学生達にこのような教育が繰り返し続けられているなら、
若い学生達が、「訓練と思っていたらそうではなかった!」と
悲鳴をあげても、それはよく理解できる。
大学教授から「軍事訓練を受けなければ単位やらない」
と言われたら、学生は渋々でも行くんじゃないかな、、
昨日まで講義室だったのが、今日は戦地でカラシニコフを手に
命を張って戦っているという恐ろしい状況が現実に起きる。
下線部分は、プーチンもまた長くそういう教育を受けて育ってきた
人であることを忘れてはならないと思う。
ブーニンの本を読んでみると、プーチン大統領が、今なぜ、
必死にウクライナを制圧しようとしているか、なんとなく見えてくる。
ロシアの歴史の教科書に偉人として名前を連ねて残したい
というのもあるかもしれない。
ゴルバチョフ体制が崩壊した後のエリツィン体制になってから
ロシアで、ブーニンが受けたような共産党教育が行われてきたかは
わからないけれども、少なくとも、今回のウクライナ侵攻して投降した
兵士の中に、「ただの軍事訓練と思っていた」という若者達は
学生の訓練の延長線上にあったのは本当ではないのかな。
彼らもまた戦争被害者であると思う。