130年前の濃尾地震の被害の様子をカラー写真で見ることができる
ヤフーニュース記事の130年前の濃尾地震、岐阜県本巣郡西根尾村
(現本巣市根尾)を震源に発生した。当時の被害状況の白黒写真を
カラー化したものだそうで、家屋の倒壊した様子が生々しい。
マグニチュード8.0の内陸直下型地震だった。
私の住む愛知県春日井市は、130年前は東春日井群の村だった。
前触れがあり、1891年(明治24年)10月25日に強い地震があった。
その3日後の明治24年10月28日午前6時38分50秒に起きた。
揺れ始めから強烈で上下動は4秒、水平動は6秒に渡り揺れたが
揺れが強すぎて地震計が破損してしまい正確な観測ができなかった。
破損までの実働は、地上の物体を衝上げ曲尺二寸、
水平に動揺は曲尺九分、すなわちこの加速度上下動曲尺二寸、
水平動は曲尺一尺八寸八分。故、本群における被害も甚大。
10月28日から1か月間の振動回数は激震1回、強震44回、
弱震126回、微震715回、合計886回に達した。
現在の春日井市、小牧市も全半壊、火事の被害が大きかった。
特に、小牧市中心部、外山、味岡辺りでは全倒壊被害が多かった。
あちこちの町内で死者、負傷者が続出したために
義援金や食料給付などが迅速に行われた。
小中学校、分校なども、当時は木造校舎だったため倒壊、
破損などの被害が大きかったため閉校となり修繕に
追われていたようで、学校が再開できたのは、
11月半ば過ぎ~下旬頃からだった。
資料:東春日井群誌
その後、1969年9月9日14時15分頃に美濃中部地震が起きた。
震源はの岐阜県郡上郡奥明方村で、震源の深さ0m、M=6.6
私は、この美濃中部地震の起きた時は小学2年生(8歳)だった。
愛知県は滅多に大きな地震はないけれども、この時震度4強ほど
の揺れだったのを覚えている。
父の建てた木造のあばら家なのでグラグラ揺れているようだった。
地震のあった時、母は妹を出産し産婦人科病院に入院中で
父も仕事で家におらず、祖母が家にいてくれて
干した布団を取り込んでいた時に大きな揺れがあり、
祖母の「外ににげろ!」と、もの凄い怒鳴り声に驚いて
庭に飛び出した。
後で考えると、屋根の瓦やガラスが飛んだら危なかったけれども
何か被害に遭うほどのことはなかった。地震の瞬間の祖母の
異様な怖がり方に驚いて、「おばあちゃん、大丈夫?落ち着いてよ」
と声をかけたら「関東大震災を経験したから地震は大キライだわ」と
怯えた声で震えながら言っていた。
祖母は、とっさに枕を頭に乗せていた記憶があるので、
頭を怪我しないように守っていたのかもしれないけれども、
私達のような幼い子供は、そんなことを思いつきもしなかった。
昭和44年当時は、まだ家に黒電話のない時代だったので
父や母とも連絡がつけられなかったので、隣家に行って
電話を貸してもらい、母の入院先の病院に電話を入れて
大丈夫であることを伝えたと思うけど、そういう時代だった。
その頃は、大地震や災害などがあってもテレビですぐに実況する
ような報道もなかったと思うので、翌日新聞が届くまでは、
何かが起きても、今のように大騒動するようなこともなかったと思う。
1891年に濃尾地震が起きてから、78年後の1969年に再び地震があり
2021年で52年が経つけれど、大地震と呼ぶほどの地震は経験がない。
1969年から78年後というと2047年になるけれども、今年は例年に比べて
わりと小さな有感地震を感じる事が多い気がする。
80年前後の周期で考えれば、この30年位の間で美濃中部地震が起きても
不思議じゃないのかなと思った。