月の光
シューベルト ピアノソナタ第13番 イ長調 D.664
00:00- 1 08:19- 2 14:36 - 3
手紙を盗み見るようで気恥ずかしいけれども。。
スタニスラフ・ネイガウスがタチアナ・ポスペロワに
手紙にしたためた内容が手に取るようにわかるので、
ブログ記事に残したかった。
私がまだピアノを習い始めて間もなかった幼少の頃に
ピアノの先生が「小鳥がさえずっているように奏でるのよ」
とおっしゃっられて、チッチッチッチッチッ、、と小鳥がさえずるのを
思い浮かべるのだけれども、思うようにいかずに
毎日毎日考え込んでいたことがあった。
あれから50年以上も経った今、教える立場になっても、
その作品の中に何かをつかみかけた気がして試してみると、
ある日はうまくいった気がしたのに、翌日はそうでもない、、
体調の良し悪しなのか、呼吸のタイミングが悪いのか
手探りで見つかったと思われたことが消えてしまい、、、と
それはそれで、様々な空想の世界を音に表現するのが
楽しい事でもあるのだと思うけれども、スタニスラフ同様に
そういったことを日々の練習のなかで繰り返している。
今、ピアノを学んでくれている子供達に
ピアノが弾けるようになることだけでなくて
空想の世界を音楽で奏でることの楽しさを
味わってほしいと思うことがよくある。
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スタニスラフ・ネイガウスから
タチアナ・ポスペロワに宛てた手紙
私はよろこびのうちに練習し続けています
もうまる2日それに酔いしれています。
そして再び、音楽に近づくことができない
もどかしさに苛まれています
私が求めるものは、まるですばしこいルリツグミのように
現れたかと思うとすぐに消えてしまいます
それを何度も何度も探し出そうとし
追いかけ、かと思うとその痕跡すら見失って
最初からやり直し、それを延々と繰り返す。
その為だけに、私達はこの骨の折れる努力を続けるのです
要するに、つかみ所のない練習なのです。
演奏家として成功するためには、そこにいないルリツグミを
あたかも「居るかのように」聴衆に信じ込ませなければ
ならないのです。
ということは、私達は聴衆をごまかすために、
彼らに嘘をつくために努力するのでしょうか?
そして芸術家が正直であればあるほど、ごまかすための
さらなる努力が必要になるのでしょうか?
これはとても痛ましいことです。
演奏家がたくさんのしきたりに縛られ、自分の演奏に
満足することは本当に稀で、ただ単に音楽の存在を
ほのめかすことだけに終始している、作曲家達が
この状況を知ったらどんなに悲惨だと思うことでしょうか
その事を考えるだけでもゾッとします。
とはいえ、音楽はどこかに存在しているわけで、
それが私達の生活を美しいものにしているのです。