光岡さんがギトリス演奏会でマネジメントした時のもの

 

 

私が鉛筆で描いたギトリスさん。

1997年11月28日光岡さんがギトリスさんに

 上記のイラストを渡して下さり

 それを手にする写真が私の手元に届いた

 

Ivry Gitlis plays Elgar - Salut d'Amour Op.12  

 

ある日、アートハウス事務所に入ってくとバイオリンの奏でる音楽が流れ

光岡さんから「のりちゃん、この音楽を生で聞きたくない?」と尋ねられた。

 

「この演奏家はイヴィリー・ギトリスという天才バイオリニストで

フランスに住むユダヤ人だけど、、、心にじ~んと沁みるんだね。

CDからカセットテープを作成したから聴いてみてよ」と手渡された。

 

「ギトリスさんてね、演奏家としてだけでなくフランス映画にも

 出演する俳優でもあるんだよ、多彩な人でね。

 「アデルの恋の物語」の映画にも出演していたことがあるんだよ。

 でも噂では相当な人嫌いで、初対面の人に心を開いてくれるような

 人ではないようだし、快く日本に来てくれるかもわからない。

 

 そこで、のりちゃんにお願いがあるんだけど、、、、

 ギトリスさんが日本に来てくれるように、ギトリスさんの

 大ファンですとラブレターを書いてくれないかなぁ?

 若い日本の女性から手紙をもらったら喜ぶと思うんだよなぁ~」

 

「えっ? 

 カセットテープだけ聴いてラブレター書けると思う?

 フランス語なんて知らないし、、

 まったく文章浮かばないよ、無理だよ」

 

ブツブツ言って断る私を無視して、

「じゃあ、頼んだからね」と強引に押しつけられた。

 

最初は仕方なくラブレターの文章をひねり出さねば、、と

その日から毎日ギトリスさんの演奏CDを聴いていたら

本当に、ユーモレスク、ロンドンデリーの唄、亜麻色の髪の乙女など

知っている作品が、これまで聴いた事のないほど魂が揺さぶられる

演奏だったので、光岡さんが聞き惚れたのが理解できた。

 

なんとか光岡さんの期待に応えて手紙を書かなければと思い立ち、

日本語の文章を書いても伝わらないような気がしたので

官製はがきにギトリスさんがバイオリンを演奏するイラストを描いた。

 

その裏書には「日本には四季があり美しい島国です。

どうか日本人のギトリスさんのファンのために

日本での演奏会を実現させて下さい」

と日本語で書いておいた記憶がある。

 

ところが、、、

私がギトリスさん宛に一生懸命に描いたイラスト入りラブレターを

光岡さんは1997年まで、ずっと机の引き出しの奥にしまい込み

ギトリスさんには手渡していなかった。

 

「光岡さん、私に手紙を書けと言っておきながら、

 ギトリスさんに渡していなかったの? なぁ~んだ・・・ 」

 

1997年11月24日愛知県芸術劇場でギトリスさん演奏会開催、

11月28日に東京で、光岡さんとギトリスさんがお会いした時に

7年越し?で、光岡さんからそのイラストラブレターが手渡され

フランスにお持ち帰りになった証拠として、

ギトリスさんが私の手紙を手に持っている写真が送られてきた。

 

 

 

光岡さんがギトリスさんと仕事を通じて出会ったのが1990年頃で

それ以来、芸術家を超えてプライベートでも意気投合して

仲の良い友人関係が続いていたようだった。

 

演奏会を終えた後の打ち上げパーティやギトリスさんが来日すると、

「ギトリスさんと一緒に食事したりお酒を飲んだよ」と連絡が入った。

「いつか、ギトリスさんに紹介してあげる」とも言われたけれども

それが実現することはなかった。

 

そうした中で1994年頃だったか、、光岡さんが目を輝かして

「今、僕にはギトリスさんの演奏作品をCD化したい夢があるんだよ。

 一世一代の大仕事になるかもしれないけれども、、、

 ギトリスさんのためなら、自分の命を削っても惜しくないと

 思えるぐらいに真剣に考えている。もし実現させることができたら

 レコーディングにのりちゃんも呼んであげるから楽しみにしていてね」

 

世界的なアーティストのレコーディングを光岡さんが行う

これは実現できることなんだろうか・・・?

ただ、漠然とその夢が叶うと良いなと聞いていた。

 

今思えば、光岡さんが私に話した頃には実現化のために

レコーディング会場を探しまわったりして、計画的に

行動し準備していたのだろうと思う。

 

つづく