7月下旬に元教師の金子力さんから暑中見舞い状を戴き、
69回目終戦日の今日に残暑見舞い状を書いて送った。
金子さんは「春日井の戦争を記録する会」の事務局長として
原爆投下前の模擬爆弾についての調査研究をして出版をしたり
地元の子供達に戦争の恐ろしさを伝える公演活動などをしておられる。
私の中学時代の恩師がこの研究調査活動を行っていた時期があり
私自身もネットで春日井市内での爆弾投下について調べるうちに
金子さんが研究調査をしていることに行き着いた。
昨年、金子さん出版の写真集を購入したことがあったので
7月31日にNHK名古屋の中で模擬爆弾についての
放送があるのを知らせて下さった。
天皇が玉音放送で終戦を伝えたのは昭和20年8月15日のことだった。
愛知県春日井市と豊田市に原爆模擬爆弾ファットマンが投下されたのは、
その前日8月14日のことだった。
春日井市では、今の王子製紙工場の近くに投下されたそうで、
その時、数名の人が亡くなられたという。
父は生前中、あまり戦時中の空襲の話をしなかったけれども
ある日、鳥居松の方を見たら真っ赤にみえた日があったと
言ったのを記憶しているので、もしかしたら、その事態を
目撃していたかもしれない。
アメリカは、原爆模擬爆弾の投下を7月20日から始めたそうで、
8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆は投下された。
その後、終戦前日のギリギリまで日本に模擬爆弾を投下して
核実験を試そうとしていたようだ。
もし、海外と同じように日本の終戦が9月ならば、、、、
日本のどこかで3発目の原爆投下があったかもしれないと考えると
アメリカは、日本に戦争を終わらせるつもりで原爆投下したというよりも、
プルトニウムの効力を試すために都合の良い材料として実験的に
日本に投下し続けるつもりでいたんではないかと思えてきた。
本当に、戦争は人間の良心をマヒさせてしまうので恐ろしい。
先日、知人の娘さんが学校教師を目指しているという話になった。
そういう中で、日々、集団的自衛権の行使の容認報道が流れるので、
今は表現や言論にそれほどの規制はないけれど、20年、30年後の
日本で愛国精神の教育が進めば、思い描くほど豊かな音楽教育を
施すだけの環境があるかな?と心配になった。
考えてみれば私が生まれたのは、まだ戦後16年後のことだったので
学校教師も戦争体験者が多かったし、明治大正生まれの人が元気で
皆、悲惨な戦争を体験しておられるので、平和への想いが強かった。
自分の言葉で語ろうと、時間をかけて意識を改革してきたところがある。
戦後69年も経つと気づけば、戦争を知らない人が大半で、
今20代の人達の30年後は戦後100年になる。
友人から「30年後の日本は、どうなってると思うの?」と尋ねられた。
本当に30年後、戦後100年の日本はどうなっているのだろうか。
未来の子供達には悲惨な戦争を味わって欲しくないので
平和を祈るばかりである。
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