ブログネタ:誕生日が同じ芸能人 参加中
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私の誕生日は9月1日。
指揮者の小澤 征爾 も9月1日生まれ。
あまり芸能人を知らない。さっぱり浮かんでこないので
ロシア音楽 の流れから著名な人物をたどり、
9月1日生まれにめぐり会えるかをためしてみた。
モスクワ音楽院 がニコライ・ルビンシテイン (1835.6.2)によって創設され
開講したのが1866年9月1日のことだった。
この音楽院の院長であるニコライ・ルビンシテインの母親はポーランド人で
その母からピアノを学び始めて名門音楽院を創設するに至る。
開講当時、ニコライに誘われて共に教鞭を執っていたのが
親友のチャイコフスキー (1840.5.7)だった。
モスクワ音楽院というとロシアの国立名門音楽院として知られていて
ロシアの著名な作曲家やピアニストを大勢輩出している。
スクリャービン (1872.1.6)、ラフマニノフ (1873.4.1)、ハチャトゥリアン (1903.524)、
リヒテル (1915.3.20)、タチアナ・ニコラーエワ (1924.5.4)
カプースチン (1937.11.22)、ブーニン (1966.9.25)など。
兄はアントン・ルビンシテイン (1829.11.28)といい
1862年サンクトペテルブルグ音楽院 を創設するが
開講当時に、すでに社会人として働いていたチャイコフスキーは
この音楽院の学生となり作曲家として音楽史に名を残すことになる。
サンクトペテルブルグ音楽院は、現在、レニングラード音楽院の名称になっている。
この音楽院の出身音楽家チャイコフスキー、プロコフィエフ (1891.423)、
ショスタコーヴィチ (1906.9.25)など
モスクワ音楽院、サンクトペテルブルグ音楽院を創設したニコライ兄弟や
グリンカ (1804.6.1)に作曲指導をしたのは、ドイツ人ジークフリート・デーン
(1799.2.24)という音楽理論家だった。
この音楽学者の存在が、後にロシアに多くの音楽家を誕生させることになる。
ジークフリート・デーンに音楽理論を教えたのは
ベルハルト・クライン (1793,3,6生)で、パリ音楽院出身である。
学んだ後に、ドイツに戻り王立教会音楽大学の作曲家教授になっている
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ロシア国歌 を作曲したのは誰かと調べ始めたら、
アレクサンドル・アレクサンドロフ (1883,4,13生)という
やはりモスクワ音楽院出身でモスクワ音楽院作曲科教授だった。
チャイコフスキーの後輩ということになるらしい。
当時の最高指導者スターリンの依頼を受けて作曲された。
アレクサンドロフに作曲指導したのは
ニコライ・カルロヴィチ・メトネル (1880,1,5生)で
やはりモスクワ音楽院作曲科出身。
ピアニストのホフマンからラフマニノフを紹介されたことで
二人は親友となる。
メトネルは12歳でモスクワ音楽院に入学し、スクリャービンと同じ
ヴァシーリー・サフォ ーノフにピアノの演奏技術を学び、
作曲家への道も模索し始めた時に
セルゲイ・タネーエフ (1856,11,25)から対位法を学ぶ。
セルゲイ・タネーエフは、9歳からモスクワ音楽院で
ニコライ・ルビンシテインからピアノ指導を受け
チャイコフスキーから作曲指導を受けた。
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ピアニストエフゲニー・キーシン (1971.10.10生)は
モスクワ音楽院でもレニングラード音楽院でもなかった。
プロのピアニストとして活躍を始めてから
グネーシン音楽大学 に学び始める。
グネーシン音楽大学は、モスクワ音楽院を卒業して
ピアニストとして活躍していたグネーシン家姉妹によって
1895年2月15日に創設された私立音楽大学である。
著名なロシアの音楽家を大勢並べてみても
9月1日生まれにはめぐり会えなかった。