弔意めぐり対日非難=「初歩的倫理、礼儀が欠如」―北朝鮮


これは、暗に人道的な部分を問題にしていて、

「これで日本は拉致問題の解決が遠くなった」

ということを北朝鮮側は伝えてきているのだと思う。


過去に、ビル・クリントン政権時代に、クリントン氏は

アメリカ国家としてではなく、個人的に金日成に対して

真っ先に弔意を示した過去があった。


金正日は、それに深く感銘を受けており、

一度、ビル・クリントン氏を北朝鮮に招いて

心から感謝を述べたいと考えていたという。




この2010年6月1日ブログ記事に、米人女性ジャーナリスト達が

なぜ、北朝鮮から早期に解放されたのかが書いてある。


37.北朝鮮は、クリントン大統領に何を求めたのか?

別に合意があったわけではない。

帰りの飛行機の中で、クリントン氏から聞かされたのは、


キム・ジョンイル氏はクリントン氏に、とても感謝していた。

「私の父、キム・ウィルソンが亡くなった時に

お悔やみの気持ちを最初に伝えてくれた人だった。」

同盟国のプレジデント達よりも早く対応してくれたことに感謝し

単に、クリントン氏に会って礼が言いたいだけのようだった。




拉致する側が悪いに決まっている。


それでも、彼らは自分達の行動を正当化し意味のわからないことを理由に、

相手を許したり許さなかったりして危険な外交を繰り返す国である。


毅然と対応した日本政府は、今後、北朝鮮との関係を硬直化させ

今まで以上に、拉致問題の解決を悪化させる恐れがあることを感じた。





        ○●○●○●○●○●○●○●○●○





09年北朝鮮に拘束された米人女性記者の告白



2010.6.1記事

11で、刑務官がローラに奇妙な話をする場面がある。

「北朝鮮を転覆させるつもりがあった」と告白すれば赦免した・・

これはどういうつもりで、そのような告白をさせようとしたのかと不思議に思った。

 


      ローラとリサ姉妹
世界のできごと
            仲介したスウェーデン大使

世界のできごと




1.二人は国境沿いで何をしていたのか?

中国と北朝鮮の国境沿いにいた。

北朝鮮から亡命する人々の惨状を取材していた。

北朝鮮の酷い状況から逃れようとして川を越えて中国に入ろうとするが

残念ながら、中国では難民とみなさないために本国に送還してしまう。

そして、彼らは北朝鮮で処罰されてしまう。



2.なぜ、脱北者達は韓国に行かないのか?

トライしているが、韓国までたどり着くのは非常に困難だ。

多くの女性は、中国で売春をさせられたりしている。



3.北朝鮮の中に入ったのか?

はい。

亡命者達が超える川を取材しに行った。

視聴者に地形を知ってもらいたいと思ってのことだった。


ガイドを雇ったが、北朝鮮側に行くのに川の氷を超えるようにと言われ、

ガイドに後からついてくるようにと言われたので、川の向こう側に

誘導されるままについていった。


ガイドからは、亡命者達が立ち寄る安全な家がある。

そこに滞在して、国境を超えるんだと説明を受け見せてくれようとした。

そして1分後、安全ではないと感じたので引き返そうとした。



4.そのガイドは悪い人物だったのか?

彼がペテン師かどうかはわからない。

憶測しようとは思わない。



5.拘束された時に二人は一緒だったそうだが、どの直後の状況は?

拘束された部屋の壁には韓国語の落書きがされていた。

「お母さんに会いたい」と書かれてあった。


そこで、多くの人が拘束されていたのがわかった。

トイレを使わせてくれなかったり、お互いに話し合うことも許されず、

社会から孤立させられた人々と同様に、母に会いたいと感じた。




6.ローラとユナが拘束された後、アメリカに住む家族達は、

  どのように解放のための交渉を進めたのか?

ローラの姉リサ(ジャーナリスト)

お互いに本を書いた。

物を書くことによって、お互いに共有する時間を確保することができた。


彼女達を救うことを喚起する活動をしていた。



7.手紙は着くことはわかっていたのか?

はい、だいたいの手紙は届くとわかっていた。

ローラは拘束中に4回電話をかけてきたが、

手紙のことなどについて話し合っていた。



8.なぜ、手紙を渡してもらえるとわかったのか?

ローラ

家族は、直筆の手紙を読んでくれていると確信できたのは

わざと、コーヒーのシミをつけておいて、誰が他に手紙を

読んだかを見極めようとした。



リサ

国務省から、北朝鮮で拘束された人達は電話も手紙も受け取れないと聞いていた。

しかし、ピョンヤンにいるスウェーデン人の外交官がいた。


アメリカと北朝鮮は直接やりとりがなく、第三国のスウェーデンを通じてやりとりしているが、

その大使から聞いたのは、とにかく手紙を書いてみよと言われた。


最初の手紙には慎重を期したが、謝罪を書いたのが良かったかもしれない。



9.何年も北朝鮮にいることになるかもしれないことを想像したか?

とにかく、できるだけ希望を持とうと思った。

ただ、時には、この強制収容所に入れられたままになったら

どうしようかと思った。



10.何の嫌疑だったのか?

国境侵害、そして敵過怠行為の罪状だった。



11.量刑はなんだったのか?

強制収容所で、12年の強制労働というものだった。

そして、この敵過怠行為というのが最大の罪状だった。


川を越えたこと自体は、それほどの問題ではなかった。


長い事情聴取が行われたが、その後に自白して、

捜査官は「北朝鮮政府を転覆するつもりがあった」と告白すれば

私を赦免する可能性があると話していた。


赦免=罪や過ちを許すこと)



12.裁判所か?

はい。判事や副官がいた。


13.傍聴していた人は?

いえ、誰もいなかった。

弁護士がいた。

裁判の1週間前に会うことができた。

書面で自白した後に、弁護士がついた。


判事は5分間審議して、判決をくだした。



14.聞いた時はどう思ったか?

立ちあがることができなかった。



15.ユナはどのような様子だったのか?

判決が出た時、二人は一緒ではなかった。

裁判後に一緒になることができたが、

ユナは、大変にヒステリックな状態になっていた。



16.ずっと一緒だったのか?

いえ、

最初、拘束された6日間は二人は一緒にいたが、

その後は、別々にされた。


裁判の日に、短時間だけ二人は会えたが、

再び、それぞれ別々の部屋に入れられた。



17.量刑を聞かされた時に、家族はどう感じたのか?

リサ

厳しい判決だろうと予想はしていたが、妹が12年間もの強制労働を

させられることを聞いた時は、受け入れがたいものがあった。


また、控訴もできないと聞いていた。

量刑は厳しいとは思ったが、とにかく交渉して外交的な手段で

彼女らを救出しようと思った。

しかし、控訴できないということで最悪な状態であると感じた。



18.刑務所の中は、どんな部屋だったのか?

最初の2日間は刑務所に入れられた。

非常にひどい条件で、5フィート×6フィートの独房で一人だった。

コンクリートの床、ベッドは木でできたパレット、窓を閉めると真っ暗だった。



19.トイレやバスルームは?

地面に穴があった。

流水もないし、電気もない、水もない、とにかくバケツに水が入れてあるだけだった。


そして、ピョンヤンに連れて行かれ、ユナとは別々になった。

コンディションは良くなり、部屋にはバスルームがあった。

一日中、しょっちゅう断水や停電はあったし寒かったが、独房よりはマシだった。


20.受刑者は、たくさんいたか?

刑務所の中では声が聞こえてきたが、人に会ったことはなかった。



- 私達2つの国には外交関係はありません。

ですからコミュニケーションは限定されています。

朝鮮半島の状況は、最近、緊張が高まっています。

この問題、この瞬間、一時的に棚上げにして、

少なくとも対話をして欲しいです -


姉を中心に家族達は団結して、妹達の釈放を願い街頭演説を展開した。



21.刑務所にいる間はどうだったのか

刑務所の中でも、何時間も尋問を受けた。



22.どんな食事を与えられたか?

基本的な食事だったが、ひどくはなかった。 

1日3食与えられていたが、少量だった。

お米、お茶碗にいっぱい、味噌汁、魚。


私は、3食もらえてラッキーだった。

多くの人が飢えていたので・・



23.刑務官はどうだったか?

女性の看守がいた。少し英語が喋れた。

最初は、とても厳しく、冷たく、冷酷だった。

しかし、彼らとは何らかのつながりを持とうと努力をした。

一人ぼっちだったから。


時間が経過すると、ちょっと状況が違ってきた。

彼らは、私を帰国させたいと思うようになったのではないか。



24.ローラは手紙や電話の中で両親を守ろうとしていたようで

   リサと連絡を密にしていたようだが?

リサ

ローラは1回だけ、2通の手紙を送ってくることを許された。

その手紙がスウェーデン大使館から米国務省を通じて、ローラの

直筆の手紙が届いた時に、両親、恋人、雇用主、私に1通の手紙を

送ってきた。




両親に対しては、大丈夫だから心配しないようにと記されたものだった。

私(リサ)に対しては、切迫したものがあった。

- 私は最悪の状況下にいます。

 私は、北朝鮮に対する敵対行為とみなされる重大犯罪で自白しました。

 そして、私は遺憾の意を表明しました。

すぐに帰国できるかどうかわかりません。怖いです -



25.どうして、姉にはこんなに率直な手紙を送ったのか?

リサも私も絆が強い。

また、もし誰かが助けてくれるとしたらリサしかいない。

彼女は私の帰国のために最善を尽くしてくれるだろうと信じていた。


姉に、そのような手紙を送ればプレッシャーになるだろうとは感じたが

姉なら、必ず、どんなことでもしてくれると信じていた。



26.持病があるということだが、病気とはなんだったのか?

潰瘍があり、それが少しつらかった。



27.食べ物も良くなかったかもしれないですよね?

とにかく、居るだけでひどいストレスだったので、それがつらかった。



28.相手の状況が見えてこないのはつらかったのではないか?

リサ

殆ど、妹とは連絡を取れなかったが、たまに連絡が取れることがあっても

それは全て傍受されている状態で、手紙も全て読まれており、

本当にそれは嫌なことだった。




世界のできごと

世界のできごと



日本は民主党政権になってから、全く、拉致問題に関しては話が出てこない。

アメリカの場合、拘束された女性達に関して国交がないとはいえ、

水面下ではオバマ大統領なども動いていたようだった。

プレジデント級の人物が訪朝する準備が進められた。


金総書記は、単にクリントン氏に会いたかっただけのようだった。

その交渉が進んだことで金氏の目的が実現したために、

早々と女性記者達は帰国することができた。


アメリカは、個人的であっても何らかの交渉を持とうと北朝鮮に対して

積極的にアプローチを繰り返していたことがわかってきた。

日本の場合、拉致問題解決のために、どんなアプローチがなされているのか

まったく、見えてこない。




米女性ジャーナリストの裁判1週間後に、国連安保理は満場一致で

北朝鮮に対するより厳しい制裁を科すことを決めた。

核開発問題があったためでもある。

北朝鮮とアメリカの関係は、ますます悪化をした。




29.救出に関して、リサに誰がアプローチしてきたのか?

リサ

私達は外交的な努力を待っていた。

(国から)何かをしてもらえるのかと待っていた。


JSOCのメンバーからアプローチを受けていた。

アメリカの軍の特殊秘密暗殺部隊組織だ。

彼は、有料でサービスを提供することができると、

地下組織があり、そのネットワークがあると話していた。

そして、二人の居場所は特定できるかもしれないと言っていた。



30.お金を渡したのか?

いえ、実際にはそれはしなかった。

というのは、あまりにもリスクが大きすぎると思ったから。


ただ、外交努力がうまくいかなければと、

いつも、それは頭の中にあった。




31.裁判の後も、健康状態は悪かったのか?

裁判の後、身体の状態が悪くなった。

一番ひどかったのは釈放される直前の頃だったが、

点滴をつけられていた。


熱が高くなっていた。


点滴もひどいもので、机の上にラックをつけて、

ソックスで点滴をぶらさげていた。


感謝はしている。

身体を維持してくれようと努力をしてくれていた。



32.何が心の支えになっていたのか?

その日、一日の中で、一番嬉しかったことを思い出していた。

窓の外の光景などを見て感動するようにしていた。




33.公判で担当の弁護士が変更されたようだが助けになったか?

実際には怖かった。新しい人々に監視されていた。

常に、相手が何を求めているかを考えつづけた。

どのようにコミュニケーションを取れるか模索していた。




34.アル・ゴア、ビル・リチャードソン、ジョン・ケリー、カーターなどに

   働きかけをしてそうだが、何が起きたか?

リサ

水面下では、かなり非現実的なことが起きていたようだ。

ローラは、政務官達とコミュニケーションをとっていたようだ。

どの特使が適切なのか。


しばらく考えていた。

リチャードソン知事、ゴア元副大統領は受け入れられるだろうと・・

カーター元大統領も受け入れられるだろうと考えていた。

ところが、北朝鮮はクリントン元大統領を求めてきた。




35.北朝鮮が、クリントン元大統領を求めてきたのか?

リサ

そうです。

彼らが、それをローラに伝えてきた。


それを聞いた時に、なるほどと思った。

私は過去に北朝鮮に行ったことがあった。

ナショナルジオグラフィックに、北朝鮮に関して

かなり批判的なドキュメンタリーを書いたことがあった。


それが、ローラの状況をより複雑化させていたようだった。

そのため、二人は北朝鮮の打倒を目指していると

勘違いされて批判されてしまった。


2007年に、北朝鮮がクリントン大統領に対する敬意を

表しているというのを聞いたことがあった。

金総書記がクリントン氏に対して良い感情を持っていると

いうことだったので、その要請がきた。


しかし、ビル・クリントン氏は、ヒラリー国務長官と夫婦であるために

複雑なので、現状では無理だろうと諦めていた。




36.オバマ大統領も関与していた。全ての人に連絡があった。

   リサ、 ビル・クリントンの話はどのように出てきたのか?

   説明を・・

ローラは、誰が北朝鮮に来てくれるのかを電話で尋ねてきた。

カーター元大統領か、クリントン元大統領かと・・。


クリントン大統領は、非常に複雑であると考えていたため、

カーター元大統領が北朝鮮に向かってくれるかどうかを尋ねたところ

引き受けてもらえることになったので、非常に感謝していた。


しかし、カーター元大統領の名がローラを通じて北朝鮮に伝えられたところ、

ローラから再び電話があった。

「ごめんなさい、間違っていた。クリントン元大統領でなくてはならない」


それを聞かされた時に、どうしようかと悩んだ。

ローラから来ているのか、北朝鮮側からの要請なのかがわからなかった。

アメリカの元大統領で、一般的なアメリカ人ではないので確信が持てなかった。


北朝鮮の要請は、次第に要求を高めてきていた。

オバマ大統領の名を出されても、それはあり得ないことだと・・。

クリントン元大統領の名が出ても、やはり難しいと繰り返し返事をした。


北朝鮮側には、もし、クリントン元大統領が行くことになれば、

必ず、物事が前進することが条件であることを何度も話した。



クリントン元大統領は、訪朝を引き受けてくれた。




37.北朝鮮は、クリントン大統領に何を求めたのか?

別に合意があったわけではない。

帰りの飛行機の中で、クリントン氏から聞かされたのは、


キム・ジョンイル氏はクリントン氏に、とても感謝していた。

「私の父、キム・ウィルソンが亡くなった時に

お悔やみの気持ちを最初に伝えてくれた人だった。」

同盟国のプレジデント達よりも早く対応してくれたことに感謝し

単に、クリントン氏に会って礼が言いたいだけのようだった。




38.ローラはクリントン氏とは、いつ面会したのか?

北朝鮮の関係者に、ホテルに連れて行かれた。

北朝鮮側から、非常に重要な特使が来ていると説明を受けた。


うまくいけば帰国できるし、うまくいかなければ帰国できないと言われた。

しかし、特使の一人がクリントン氏とは聞かされてはいなかった。


ホテルに到着した時に、アメリカのシークレットサービスの人を見つけた。

ドアが開くと、そこにはクリントン元大統領が目の前に立っていた。