小牧市教委は、28日、国史跡の小牧山城(愛知県小牧市堀の内)で、
山頂の周囲に巡らせてある織田信長が築いた石垣に、築城当時としては
大規模、先進的な技術が施されていたことが確認できたと発表した。
天守閣と石垣を特徴とする近世城郭のルーツはこれまで、同じ信長が築いた
安土城(滋賀県近江八幡市)にあるとされてきたが、さらに13年さかのぼって
小牧山城に原型があることが明らかになった。
小牧山城は1563年(永禄6年)、清州城から移ってきた信長が築いた。
斎藤氏を滅ぼし岐阜に本拠を移すまでの4年間、本拠にした。
市教委によると、確認された石垣は長さ35メートルの上下2段で、
高さは上段が2.5~3.8mで、下段は1~1.5mだったと推定。
特に、上段を構成していた石垣は重さ2トン前後の巨大な自然石が
整然と積み上げられ、「土が主体だった当時の城にはない技術が具体化され
これを原型にして『石の要塞』のような今日の城が全国に広まって行ったと
考えられる」と小野考古学専門員は話す。
石の配列にはデザインを意識したような工夫が見られ、内部には石垣の強度を
上げるために細かい石や盛り土が敷き詰められ、近世城郭の城に見られる特徴と
共通している。
考古学専門員は、「こうした築城技術ひとつを見ても、戦乱の世を生き抜くには
守りを固めることが肝要とする、信長の非凡な才能がうかがえる」と語り、
戦国武将として優れていたことを裏付ける資料になるとみている。
城郭に詳しい千田奈良大教授は「信長が理想とする城郭の原点は小牧山城だったと
推測され、後の岐阜城や安土城を通じて江戸時代の城にも決定的な影響を与えた
のではないか」と話す。
市教委は今回の調査結果を受け、5日午前10時と午後2時、現地説明会を開く。
無料。 問い合わせは小牧市文化振興課
2011(H23)年、3月1日 中日新聞
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小牧山城は、ここから近い場所にある。
城下町や小牧山は桜の咲く時期に行くと美しい場所だと思う。
今、建っている城は、昭和40年代に名古屋の実業家によって建てられたもので
織田信長が建てたものとは、まったく違うものになっている。
私自身も、小学校低学年の頃に父に連れられて行ったことがあるけれども、
何もない殺風景な展示室だった記憶しか残っていない。
あれ以来、城は退屈な場所と思い込むようになってしまった。
小学生時代に名古屋城、犬山城、小牧山城と行った中では、
犬山城が、一番、城らしい風情があったような記憶がある。
家の前に神社があるけれども、この神社に飾られている甲冑が凄い。
たぶん、数百年前の甲冑のようで、テレビドラマに出てくるようなものとは
全然色彩が違っていて、その古めかしさに本物だなと重みを感じることがある。
何より、その甲冑は背の低い男性しか身につけることができないぐらい
胴の幅が狭そうにみえる。
城に行かなくても、日本の歴史を感じるものは町の至る所に在る。
戦争などで喪失しなかった物を大切に、今の時代と共存させて
いくことは必要かなと思う。