第4次中東戦争で

    ムバラク氏      サダト大統領
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           1979年キャンプデイビッドで

         エジプトとイスラエルが平和条約を結ぶ

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1948年、自分の国を持つことができなかったユダヤ人達が

ヨーロッパなどの国々から脱出し中東の地に「イスラエル」を建国した。


しかし、もとはアラブ人達が住んでいた地域のために、エジプトをはじめ

アラブ諸国はイスラエルと対立し4度に渡り交戦を繰り返したが、

第4次中東戦争で、エジプトはイスラエルへの奇襲作戦を成功させた。


この時に、サダト大統領が奇襲作戦の中心となり、それを支えたのが

現在のエジプト大統領のムバラク氏であった。


開戦当初こそエジプトが勝利していたが、アメリカがイスラエルを

緊急援助し後方支援したことにより停戦となった。


停戦から5年後の1979年に、アメリカのキャンプデービッドでエジプトとイスラエルが

平和条約を結ぶことで合意をした。それまで反米の立場だったエジプトは、一転し

アメリカとエジプトの協調路線に変更した。


一方のアメリカもエジプトと協力関係を強めたい理由があった。

イスラエルの東側に位置しているイランの存在である。


1979年、イラン革命が起きる。

それまでアメリカやイスラエルの友好国であったイランが

反欧米主義を掲げるイスラム主義国家となった。


同年にソ連はアフガニスタンに侵攻した。


ソ連がアフガニスタンに乗りこみ、イランが反米に変更したことによって、

アメリカはイラン経由で中東に向かうルートが断たれることになり

また、アメリカの立場が弱くなることを警戒した。


そのためにも、アメリカはエジプトと同盟関係を維持することにより

エジプト経由で中東に軍隊を派遣する構図に変更せざるを得なくなった。



1981年、エジプトはアラブの英雄からアラブの裏切り者として

アラブ諸国からは孤立することになってしまった。


エジプト国内でも親米路線に急転換したことが国民の中に不満や怒りとなり、

イスラム過激派のエジプト軍兵士によりサダト大統領を含む6名が暗殺された。 

その結果、副大統領だったムバラク氏が新大統領に就任する。


ムバラク新政権が発足して間もないころは、国民の多くがムバラク大統領に

期待を寄せたが、それに反してムバラク大統領は秘密警察を使い、強権的な

手法で自らの権力を固めていった。


テレビ朝日の元カイロ支局長河村氏は、当時、エジプトの情報相、アメリカCIA、

イスラエルのモサドは、ムバラク体制になってからは結びつきが強固になったと語る。


アメリカにとって都合の良いエジプトについては、ムバラク政権の強権政治に対して

目をつぶってきたところがある。また、アメリカからエジプトに対して毎年15億ドル以上

の資金援助を行い、合同軍事演習の実施など兵士の教育するなどして支援してきた。


アメリカ軍幹部も、エジプト軍とは友好関係を長期的に発展させるよう努めていると語り、

エジプトは世界屈指の軍事大国となった。これまで中東におけるアメリカの代理人として

役割を担ってきたところがある。


これまで、エジプトは湾岸戦争、イラク戦争などではアメリカに味方をしてきた。

アメリカにとって忠実なエジプトだったが、その底辺では貧富の差が広がり

チュニジアから火がついた反政府デモの拡大は止められなくなり、

ついには、アメリカオバマ大統領もムバラク大統領に対して辞任を促すことになる。


しかし、ムバラク大統領は、今、政権をあけ渡せば「イスラム原理主義」政権が

誕生しかねないと、即時退陣を拒み続けている。


イスラム原理主義の政権が誕生すれば、アメリカやイスラエルに反旗をひるがえす

ことになりかねないので、今、最も恐れている事態となっている。


エジプトは、今後、民主化政権を目指すのか、イスラム主義を目指すのかによって

イスラム社会の中でのイスラエルやアメリカの立場が変化するため注目が集まる。