2009.8.2
マレー医師は心臓外科医だった。
かつてにも逮捕された経験を持ち、良い実績のある医師ではなかった。
今回、19人の医師が捜査され、11人の偽名があったことが判明している。
偽名で処方することは犯罪になる。この点では、関与すれば起訴される
可能性がある。
検視の結果は、責任者(ブランドン氏)が町にいないために、休暇から
戻ったら発表するというが、先日、無期限の延期が発表された。
いつ、検視の発表がされるかわからない。
全ての文書は保留になる可能性が高い。憶測を避けるため。
検視官、保安官、麻薬捜査局などが関わっているが、
1つの結論が出た時に声明が発表されることになるだろう。
2009.7,24
マイケルの担当医マレー医師宅に捜査令状
今日、マイケル・ジャクソンの担当医をしていたマレー医師の自宅に
捜査令状が出されたが、警察は2つのものを捜している。
1つは医師のクリニックにおいて。もう1つは医師が持っていた倉庫について。
医師とFEDEX(運送会社)とのやりとりがあったことが明らかになったが、
医師が何の目的で、誰に何を送っていたのかに警察は関心を寄せている。
薬については、CENTERMINEという薬の原材料を保管していた。
そして、鎮静剤なども見つかった。
マレー医師の所有する倉庫からは、法医学関連の画像や公的文書21通の
収められた、2枚のハードディスクドライブ薬も見つかり押収された。
何を意味しているかわからないが、当局によれば証拠を捜しているという。
強制捜査が行われているあいだ、マレー医師はどこにいるかは伝えられては
いないが、24時間体制でボディーガードをつけているという。
マレー医師のクリニックは、ヒューストンとラスベガスにあるが、
この騒動で、仕事ができる状態にはないようだ。
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コメディアンのディック・グレゴリーの証言
マイケル・ジャクソンは、コメディアンのディック・グレゴリー氏と
何年も前に知り合い、長い間、公私にわたって親しくしていた時期があった。
マイケルの未成年に対する性的虐待行為についての裁判の際にも傍らに
寄り添ったことがある人物でもある。
何年か前に、ディック氏はマイケルに誘われてネバーランドに同行した。
その時に、マイケルから
「僕を置き去りにしないでくれ。一人にしないでくれ。殺される」と言われたという。
その頃から、「なんだか、自分は毒殺されるような気がする」と話していたという。
ただ水を飲むだけでも、毒が入っているのではないかと神経質に心配していた。
そういった不安に駆られていたので、殆んど何も食べたり飲んだりしていなかった。
ディック氏は、できるだけ早くマイケルを助け出したいと考えていたという。
かなり、被害妄想のような感じにみえたという。
マイケルは具合が悪そうにしていたので、町にある小さな病院に連れて
行ったことがあった。すると、栄養剤のような点滴を受けていたようだった。
12時間ほど、何も飲まず食わずの状態だったので脱水を起こしていた。
ディック氏によれば、あと12時間、何も飲まずにいれば死ぬところだったと
病院で言われたという。
ディック氏が、最後にマイケル・ジャクソンに会ったのは、
2006年ジェームス・ブラウンの葬儀の時だった。
この時には、大変に元気そうにしていたという。
ディック氏に、マイケル・ジャクソンが麻薬などを使用していた様子を
尋ねてみたところ、そんな様子はまったくみられなかったという。
それよりも、自分が身体の中に何を取り込むのかということに対して
不安を感じており、大変に慎重になっていた。
まるで5歳児ぐらいの幼い子のように、大人の誰かに面倒を
みてもらいたがっていたのではないか。
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ローリングストーンマガジン記者によるエピソード
ローリングストーンマガジンは、マイケル死亡直後のスクープや、
AEG幹部への取材を掲載したりなど、エピソードを紹介している。
1.マイケルが死亡直後に、家族が家の中に入って行った。
そして、マイケルがキープしていたカバンを持ち出そうとしていたと話がある。
2.AEGのCEOランディ・フィリップス氏は、興行成績を良くしたいということだけでなく、
プリンストンとのライバル心から、マイケルのロンドンツアーで50回公演をこなそうと
していたのではないかと情報もあった。
ローリングストーン誌が取材していくうちに、それは逆ではなかったかと考えるように
なったという。ランディ氏は、自分のやったことに関しては、非常にきちんと管理をしていた。
当初、31回公演を考えていたようだった。
ところが、マイケル・ジャクソン自身が、ツアーを行うことに賛同した時に、
ロンドンであるという場所を考えて、そして、ギネスブックを狙っていた。
50回公演を成し遂げた時に、ギネスの人を立ち合わせたいと考えていた
という話がある。
3. ローリングストーン誌の取材に対して、マイケル・ジャクソンは、
「私は、自分の身体は自分でコントロールしている」と話していたという。
4. マレー医師は、当初、マイケルに対して月に100万ドルを要求していたと話がある。
いくらマイケル・ジャクソンでも、それは高額すぎると周囲が感じていたようだ。
この話については根拠のないものと報道されていた。
5. マイケル・ジャクソンはEBAYの店がお気に入りだった。
不眠症で眠れない夜中には、よく店に通っては、いろいろと購入していた。