予備審問において、マイケル・ジャクソンの死の直後に
マレー医師の愛人が、マイケルの自宅に行っていたことが
明らかになった。
また、その4日後にもマイケルの自宅へ行き、薬のビンや
色々な薬を回収した。その時にプロポフォルのビンは12個あった。
使用後の物や未使用の物などが置いてあり、その大半は
クローゼットにあった。また、そこには様々な薬品の入った
バッグも隠されていた。
そのバッグは、マレー医師がボディガードと一緒に
911通報以前に薬品を回収して隠したバッグとみられている。
また、マイケル・ジャクソンのベッドルームのベッドの下にも
ビンが隠されていた。
今回の予備審問では、Nicole Alvarez (ニコル・アルバレス)という
マレー医師の愛人が、薬物の入手にどのように関わっていたのか
が明らかになってきた。
マレー医師は結婚しているが、アルバレスという愛人がいる。
彼女はマレー医師の子供を出産している。
この愛人は、マレー医師からの荷物を受け取ることになっていた。
アップライトファーマシーという薬局からの物品も含まれていた。
マレー医師がその薬局でプロポフォルを注文し、その薬品を愛人の
アルバレスの自宅に送っていたことが明らかになった。
検察は、これを事件として立件するために通常よりは
厳密に調査を行っているという。
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2009年7月28日 マイケルとマレー医師の出会い・医師の経歴
マレー医師が薬品とのつながりを認める
これまで、マイケルの専属医であるマレー医師は、DIPRIVAN(ディプリバン)や
PROPOFOL(プロポフォル)などの医薬品を、処方も投与もしていないと反論していたが、
今回の強制家宅捜査によって、医薬品と医師とのつながりが明らかになってきた。
マレー医師は、マイケルの死の24時間以内に、これを使用したとみられている。
また、マイケルが心停止状態に陥った時にも、医師はマイケルの自宅におり、
心肺蘇生を試みようとしていたことも判明している。
マイケルの自宅の医師のクローゼットにも、PROPOFOLなどの薬品などが
置かれてあった。この薬品は病院以外の場所では使用されないものだが、
マイケルの自宅に勤めていた看護婦は、マイケル自身から、睡眠のために
この薬品を使って欲しいと指定して依頼を受けた事があったという。
先週、24日(金)に、マレー医師の弁護士と司法当局との間で3回目の会合が
開かれる予定になっていたが、突然に、テキサス州ヒューストンの診療所と
薬物や資料などの保管場所が強制家宅捜査の対象になり、会合は延期となった。
ジャクソン家に近い、また捜査に詳しい情報筋によれば、専属医師が何らかの
強力な薬剤を使ったために死亡したのではないかと、捜査当局も考えているという。
捜査について、マレー医師は懸念をしている。
自分が犠牲にまつりあげられていると感じていると、医師の弁護士はコメントしている。
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マイケルの死の数時間前に、テキサス州ヒューストンでマレー医師の
所持する倉庫から、大量の書類などを持ち出す女性二人の姿
マイケル・ジャクソンの死の当日のできごとだった。
マイケルの亡くなる間際のころに、テキサス州ヒューストンにある
マレー医師の薬物や資料などを保管する倉庫に、二人の女性の訪問者が現れた。
この二人の女性が、マレー医師の借りていたヒューストンの倉庫から
何かの荷物を運び出す様子が目撃されていた。
倉庫を経営する女性は、二人の女性達は、大量の書類を小さな箱に詰めて
6回ほど往復して倉庫から持ち出していたという。30分ほどかかっていたと話す。
テキサス州ヒューストン時間では、午前11時22分のことだった。
ロサンゼルス時間では、午前9時22分のことだった。
マイケルの自宅から救急通報があったのは、ロサンゼルス時間午後12時20分だった。
救急通報するよりも、3時間前に女性達は、マレー医師の倉庫で書類などを
運び出していたことになるが、誰が、この女性達を派遣したのかはわかっていない。
救急通報されるよりも、かなり以前からマイケルの容態は悪化していた可能性があり、
たとえば、呼吸していなかったことも考えられる。
マレー医師の弁護士は、この点についてノーコメントとしている。
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マイケル・ジャクソンとマレー医師との出会い
マイケル・ジャクソンは、コンサートプロモーターのAEGに対して、
「マレー医師は、ロンドンのツアーのみ専属医師になる」と伝えてきた。
また、マイケルは「私の身体は、このビジネスのためのマシンなのだ」
と話していた。
そのため、マイケル自身がそう話す以上は、AEGとしては反対できなかった。
マレー氏は、今年5月に専属医師として採用されたばかりだった。
マレー医師本人は、マイケルの専属医師になれるのは生涯に一度しかない
ことだと周囲に話していたという。 月給は15万ドル支払われていた。
これとは別に、日当、ホテル代などの経費も支払われていた。
マイケル・ジャクソンとマレー医師との出会いは、2006年ラスベガスだった。
マイケルの子供の一人を治療したことがあった。
その時に、マイケルの警備員の助言に基づいて、マレー医師が子供の診察を行った。
マレー医師の弁護士の証言によれば、最初は、マレー氏は
医師としてマイケルと接していたわけではなかった。
個人的な友人としての出会いがあった。
マイケルは、マレー医師を家族の一員のように扱っていたという。
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マレー医師の経歴
マレー医師は、現在56歳である。
ナッシュビルの医学校を卒業した。カリフォルニアで研修医時代を
過ごした後に、ネバダ州、テキサス州で医師免許を取得した。
マイケルの専属医になる以前は、ラスベガスで診療を行っていた。
そして、テキサスの診療所では、コストが非常にかかっていた。
CNNの入手した資料によると、ネバダ州の診療所でも財政難に
陥っていた。マレー医師は、ここ数年間、借金を抱えていた。