2010年8月20日
これまで、イラクに駐留していたアメリカ軍兵士達の撤退が始まった。
2001年に9.11テロがあり、2003年3月20日にイラク戦争は始まった。
本当に何のための戦争だったのか、誰が得をしたのかがわからない戦争だった。
2009年7月18日記事(再更新)
2001.9.11同時多発テロ
           アルカイダ オサマ・ビンラディン
          元FBIのGEORGE PIRO
2009.7.18
最近、FBIはサダム・フセインを取り調べた時の機密文書を解除して公開した。
この文書によって、実際には大量破壊兵器がなかったことが明らかになったが
同時に、なぜ、アメリカに大量破壊兵器があると思わせたかったのかが判明した。
フセイン元大統領は「イラクは大量破壊兵器を持っていると思わさせたかった」としている。
2004年6月11日、フセインがアメリカによって拘束されて6ヵ月後に、アラビア語を話す
GEORGE PIRO(ジョージ・ピロ)FBI捜査官に対して答えたものである。
イラクにとっては、アメリカよりもイランの方が脅威であった。
イランに対して、大量破壊兵器を持っていないということを悟られたくはなかった。
そのためには、国連の査察官を追放する必要があったと語っている。
イランがイラクに対して、どこで最大のダメージを与えることができるかを
知られることを恐れていた。国連の査察官を追放することによって、
大量破壊兵器があると見せかけて、イランを脅かすことが効果的と考えていた。
ジョージ・ピロFBI捜査官は語る。
フセイン元大統領は、当初、ブッシュ元大統領の意図を見誤ったと話していた。
アメリカは1988年の時のような空爆の攻撃をするだろうと考えていたからだ。
もしそうであれば、生き残れると考えていた。
ところが、9.11テロを口実にして、アメリカはイラクを侵略した。
そしてフセインは、アルカイダの存在を忘れていた。
オサマ・ビンラディンのことをフセインは狂信者と呼んでいた。
アメリカは、フセインがビンラディンと接触を持っていると話していたが、
実際には、イラク政権はアルカイダには協力をしなかったし、
また、ビジョンがまったく違っていたという。
サダム・フセインが独裁者であることには違いなかったが、
アメリカに拘束される以前の14年間に、電話は
2度しか使ったことはなかった。
直接、人に会って話をするか、使いの者を遣(よこ)していた。
また、暗殺を避けるために替え玉を使っていたと噂があったが、
フセインは否定しており、それは全くなかったと話していたという。
ただ、毎晩違うベッドで寝ていた。
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結局、当時のブッシュ政権によってフセインの虚像を作りあげ、
そういう中で、フセインは処刑されてしまったようなところがある。
イラク人の多くは、フセイン元大統領は独裁的ではあったが
いなくなったおかげで、常にイランの脅威を感じていなければならない
と語る取材を見たことがあった。
フセインが処刑されたのは、正しいことだったのか?と疑問が残った。




