今こうして生きているということ…
実は、これ自体が奇跡なのかもしれない…と感じる事が出来る様になって、少し時間が過ぎてきました。
今まで、自分には価値が無い…誰からも愛されていない・必要とされていない…と思い込んでいた時は、自分の存在理由・生きている意味など、考えた事も無かったし、そもそも、自分が幸せになれるはずが無いと、ココロの底から信じていた時期が人生の中で随分と長くありました。
だからこそ、日々明日が来なければどんなに幸せなんだろう…もう人生を終えてしまいたい…
そんな事を考えている毎日が続いていました。
セルフイメージを書き換える…という事は、実はこの自分の思い込みが実は違ったものなんだよ…という事に、自ら気付いてその間違いを認め受け入れ、手放していくという事なのだろうと感じています。
思い込みが生まれる瞬間って、実はチョッとしたキッカケで、他人から見たら、ほんの些細な出来事であっても、その当事者の自分にはもの凄く、大きなネガティブなものになってしまって、結果的にそれが思い込みになるのだろうと感じています。
もちろん、この思い込みがポジティブなもので、その人の人生に大きな影響を与えるものであるならば、その思い込みを手放す必要も無いし、その思い込みを生涯信じていけば良いのだろうと思うのです。
ただ、ネガティブな自分自身の人生にマナスの大きな影響を与えているとしたならば、その思い込みは手放したほうが、後の人生、楽に生きていけるのだろうと感じています。
僕は長い間、自分が決めた3個の想いが強烈に自分のココロの奥底に隠れていました。
それは、
生まれてきてはいけなかった。
母からは愛されていない。
自分は必要とされていない。
という、3個のネガティブな思い込みでした。
そして、この3個の思い込みは幾重にも蓋を重ねて、自分で決めた事にも関わらず、自分でも気付く事すら出来無くなっていたのです。
そして、この思い込みがあったが故に、自分で自分の行動に制限をかけてしまったり、諦めてしまったり、自分で自分の人生を壊すような行動を続けてしまったのだろうと感じています。
そして、自分の思い込みが間違ったものであると気付くには、やはり、自分のココロと向き合う必要があったのです。
自分の思い込みが間違った思い込みであったと、自分自身がココロの底から納得する必要があったのです。
僕がこの思い込みに気付くまでも、色々な執着心と向き合う必要がありました。
そして、この思い込みに気付く事が出来た時…ようやく僕自身が生きているという意味を、自ら見出す事が出来たのです。
そして、その事を受け入れられた時…
僕は自分に、幸せになっても良い…という許可を出す事が出来ました。
そして、誰もが実は幸せになって良い…と気付く事が出来た時、その時に自分が生きている意味も見出す事が出来たのです。
誰もが持っている本当の願い…
それは、
幸せになりたい…そして、
全ての人は幸せになるためにこの世に生を受けたんだ…
ということを受け入れられた時、僕の人生は本当の意味でスタートを迎えたのでした。
そんな事を思い出した、雪の朝でした。
本日もお読みいただき、本当にありがとうございました。