行山流水戸辺鹿子踊 | SC南三陸のブログ

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南三陸町の旧水戸辺村(みとべむら)に伝わる行山流水戸辺鹿踊(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)は、この地域の盂蘭盆会(お盆)にあたる8月14日に、慈眼寺境内の円形石畳で舞う供養の墓踊りだそうです。

水戸辺村出身の伊藤伴内持遠が、伊達家三代目綱宗公御前で舞を披露し、珍しいという意味の『行山なる踊り』(ぎょうざんなるおどり)と賞され九曜紋を拝領した事から、行山流と名乗ることになりました。

西国から伝わったとされる踊りは、継承者が御召し上げとなり、岩手に移住してから5代目で途絶えましたが、昭和57年に石碑が解読され、鹿踊の発祥が水戸辺である事がわかり、復活の機運が高まり、400年の時を超えて水戸辺青年会が、伝承先である舞川に習得に行き、平成4年正式に保存会が復活しました。

岩手県を中心に踊られている鹿踊ですが、江戸中期の雄勝の板碑にも鹿踊の会の先生を称える内容が刻まれており、かつては宮城県でも広範囲で踊られていたようです。

一度途絶えると継承するのは難しいですが、水戸辺鹿踊は、小学校での伝統芸能講座、高校での愛好会、地域の保存会として活動が継続しており、本日は19歳から20代の若者8人が墓踊りを披露しました。昨年は雨で中止でした。
少子高齢化ですが、鹿踊を継続するには、8人の踊り手を確保する必要があります。
またコロナ禍のような移動規制が掛かると、踊り手の帰省前提の伝統芸能では、開催自体が難しくなります。

踊り手の確保、伝承指導者の確保、練習する場所、時間、開催時の天候、社会的規制等様々な要因を克服して、津波で流されるも奇跡的に見つかった鹿頭を洗浄修復して再開した水戸辺鹿踊は、本日も無事開催出来ました。