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宇都宮に来たのだから、ぜひ、世界遺産の日光だけは行こう!

 

「信長・秀吉・家康 神への道」 ~ 2021年6月3.0日

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康。3人の天下人は、さらなる高みを目指し、神になろうとした

。信長のご神体、暴かれた秀吉の遺体、家康の謎の遺言。三英傑の神への道に迫る。

 

 

『歴史探偵』という番組で、3人の天下人が神になろうとしたという内容で放映されていました。

その中で、注目したのは、徳川家康が死後、神になるために日光に自分を埋葬せよと

遺言を残したことにより、現在の世界遺産である日光東照宮が建立されたことです。

 

 

じつは、家康は日光に行ったことなどなく、日光は縁もゆかりもない土地だったそうです。

では、なぜ、家康は日光の地を選び、神になろうとしたのでしょうか?

 

 

なぜ、家康は、縁もゆかりもない日光を選び、神になろうとしたのか??

 

 

家康は、江戸(東京)を守るために、日光東照宮を建立させ、神となりました。

いわば、日光東照宮は、東京(江戸)の守り神であり、パワースポットなのです。

 

 

これから東京で、活躍される方は、ぜひ、世界遺産である日光へ参拝しましょう。

なぜなら、家康が神となり、日光から東京を見守っているパワースポットだからです。

日光の近隣に住んでいるのに、参拝しないなんてもったいないです。ショボーン ショボーン

 

 

 

なぜ、家康は、日光に祭られたか?その秘密は、この世界遺産「陽明門」に隠されています。

 

 

 

この「陽明門」の上方に、『東照大権現』と記されています。これこそ、徳川家康が神になった

名前なのです。

 

 

夜、この「陽明門」を長時間観察すれば、家康が神になったことがわかります。

 

北極星は、古来より、神が宿る星と言われてきました。

 

 

 

夜、長時間、カメラのシャッターを開くと、「陽明門」の真ん中を中心に宇宙が動いている

ように見えます。この陽明門は、それを計算して建立されたのです。そして、この北極星の

空に家康が神となり陽明門の位置から毎日江戸を見守っているのです。

 

 

 

 

家康は、死後、神となり北の空から江戸の町(東京)の守り神となったのです。

 

 

 

 

『日光東照宮』は、まさに東京(江戸)の真北の位置にあるのです。

 

 

家康の遺言です。

 

 

家康は死の直前に奇妙な遺言を残しました。

『我がなきがらは、久能山(静岡県)に納めよ。一周忌が過ぎたなら、日光に勧請せよ。』

 【勧請】(かんじょう) 神仏の来臨を願うこと。神仏の分霊を請(しょう)じ迎えること。

 

 

遺言通りに、家康の亡骸は、まず、静岡県の久能山東照宮に納められました。

 

 

空から眺めると、この久能山東照宮のちょうど北へ50kmの位置に「富士山」があります。

 

 

古来より、「富士山」は「不死山」と呼ばれ、亡骸が復活する場所と言われていました。

 

 

 

家康は、死後1年で、富士山で神として復活し、久能山と富士山の延長上にある日光に

魂が移ったとされています。

 

 

そして、日光の地に移って、北の空から神となって江戸の町(東京)を守っているのです。

 

 

この壮大な神のプロジェクトを実現させたのが「天海」です。「天海」は、徳川家康・秀忠・家光の

3人の将軍に仕えたと言われています。亡くなっ時は、107歳。 徳川家康の側近として、そして

3代将軍家光の時代まで、江戸幕府の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。

 

 

今の荘厳な日光東照宮を建立したのは徳川家光ですが、「天海」がすべてを仕切りました。

 

 

そして、今でも徳川家康は神となり、日光東照宮陽明門の北の空から、東京を守っているのです。

 

 

 

東照宮見学のハイライトである陽明門は、高さ11.1m、正面7m、側面4.4mの全ての面に江戸初期の

装飾技術を集結させた彫刻を施している。極彩色で装飾されている2層の楼門は、1日中見ていても

見飽きないことから日暮門[ひぐらしもん]の異名をもつ。

 

 

明治維新まで庶民がこの門を通ることは許されておらず、武士は刀を預け、勅使でさえも

装束を改めたといいます。日光東照宮に来たら、この陽明門から北の北極星に向けて

お祈りしましょう。家康さまが、願いをかなえてくれるかもしれません。

 

 

 

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