なぜ着物を着るの?
私がたくさんの、着物を着ない日本人に言われてきた言葉。

なぜ着物を着ないの?

私がたくさんの、着物を着ていない日本人に問うてきた言葉。
私が着物を着るのはね
きっかけは、
誰も開けもしない箪笥に眠らされていた着物の存在に気付いた時と
その持ち主の祖母がそろそろ他界しそうだった時と
チビが幼稚園へ行くようになりお昼に少しの自分だけの時間が持てるようになった時期が
ひとつの円になり繋がった時。
言ってみればお金使わないであるもので、少しの自分だけの時間を楽しめたらいいな、っていう倹約エコ精神ですかね、笑。
ええ、楽しんでいますとも!

着物を着ると目立ってしまう。
理由は、単に周りに、着物の人が少ないから。
それだけれども、できるだけ溶け込むように心がけているつもりだよ。
目で見ることはとても大切
しかし
どうか、着るものや肌の色、髪の色、目に映る造形的なものや視覚的なものだけに左右されないで。
こんな動きはしにくいな、とか、
こんな時どんな風にしていたんだろう、
畳の部屋が欲しいぜ!など
つい最近なのに急速に失われて行く日本人の生活してきた形のようなものを手探りしてみる、ま、時刻表を見ながらする、楽しい空想旅行みたいなものだよ。

新しいものは素敵
古いものも美しい
私は、プッペンという猫を飼っていたある年配の女性が、
ものすごく可愛らしくブルーのニットとベージュのコートを着こなしていた事を思い出す。
あるもので工夫するのよ、
それから姿勢よ。
こんな風に話していたあの、おばあちゃま。
服だけじゃない
何かとても大切なもの、慎み、かしら?
護身や自己主張、それらをファッションで表すやり方、武器を持たない戦い?楽しみ、ファッションで考えを表すのって素晴らしい思いつきだと思う。
着物だってそう、豪華なもの、質素なもの、身につけるもので金持ちか否か、どこの出身か、
わかるようにされてきた部分もある。
そんなしきたりを壊すような斬新的な着こなしをする着物好きさんもたくさんいらして素晴らしいと思う。
ほら、ね、否定ではけして無いけれど
どうしても見た目に囚われてしまう。

それは外に向けるものではない、自分に向けるものだ。
そんなプッペンのおばあちゃまの言葉が絹擦れの音の中に聞こえたような。
私はムッツリタイプなんだろうな、きっと。
そうして半襟を付けていたら指を針で刺しちゃったよ
もっと痛みを知れってことかしら?あーあ、この美しい日本、どうなるの?
ちゃんとしなくちゃ、また考えすぎかなぁ。